日本語ほど、柔軟な言葉はないと思う。
使い方一つで、意味が異なり、ポジティブな意味の言葉が、ネガティブな意味の言葉になったりする。
例えば、「全然」という言葉がある。
この言葉は否定文の中で主に使われることが多い。
だが、現在では「全然おいしい」「全然だいじょうぶ」などのように用いられている。
それも若者だけでなく、いい大人が使っている。
この使い方を間違っているという人もいるが、夏目漱石が本の中で使っていたりもする。
だから、正解はわからないければ、日本語の可能性を感じてしまう。
で、最近では「ゆとり」という言葉がネガティブな意味を含んでいるように感じる。
ゆとりとは、余裕があり窮屈がないこと、と辞書に載っている。
言葉通り、ポジティブな意味の言葉である。
だが、大人はこぞって、「だからゆとりは・・・」と嘆く。
ロスジェネ世代とゆとり世代の間に位置する僕には関係ないことだけれど、ゆとりより世代の僕としては反論したくなってしまう。
そもそもゆとり教育が導入される経緯は、詰め込み教育に問題があると判断されてのことである。
詰め込むだけでなく、意欲的に勉強に取り組めるように学ぶことの重要性を学び、そのためには心の余裕が必要とされたのではないのか。
でも、結局そのゆとり教育は失敗。
失敗と判断したのは大人だから、僕は失敗だと思ってないけどww
ゆとりのない社会にゆとり世代は浮いているのかもしれない。
ただ、現在の社会は窮屈で、生きづらい。
多様な生き方が求められているにも関わらず、身動きの取れない生き方をしなければならない。
大人には夢があって、子供には夢がない。
そんな世の中でいいのだろうか?
ゆとりの大切さをゆとりのない人たちに教えられたのなら、それを果たしてゆとりと呼べるのだろうか?
ゆとりを知らない大人。
そんな大人にならないように、僕らは新しい未来を作らなければならない。
ゆとりよりも大切なものを。
以上。