本日4月4日は沖縄県誕生の日です。
日本政府は1879年(明治12年)4月4日、当時の琉球藩を廃し沖縄県として布告しました。
それは今から137年前のことです。
さてそれでは沖縄県になる前の琉球国が誕生したのはいつだと思いますか?
それは今から644年前の1372年とされています。
当時の琉球中山王・察度が1372年に初めて中国の明へ入貢し、それに引き続き南山王および北山王が入貢しました。
当時の琉球は地域が3つに分かれて支配されており、琉球の歴史では有名な南山、中山、北山の三山時代といわれる琉球王国統一前の国でした。
中国の明が琉球を正式に国として認めたのは一連の琉球三山王の入貢に根拠付けられます。
その後1429年には中山王・尚巴志が三山を統一し、事実上の統一国家である琉球王国が誕生するわけです。
さて、中国の明は建国間もないこの時期に中国皇帝を頂点とする世界秩序(冊封体制)建設のためのネットワークを拡大しており、明から統一前の琉球に対して明への入貢を促していたのです。
進貢国は中国皇帝から国として認められるだけではなく、大きな経済的メリットも得ました。
入貢のために貢ぎ物を積み込んだ進貢船は琉球への帰りには中国の特産品を満載して戻ったのです。
そして宗主国である明と進貢国の間は単に2国間だけの関係にとどまらず、進貢国同志の大きなネットワークにも関係を広げていたのです。
当時の琉球の海洋貿易国家としての発展は実はこのネットワークを大いに活用した結果だったのです。
琉球は日本を始めとする朝鮮、東南アジア諸国間で活発な外交と貿易を展開していきました。
しかし、皮肉にもこの貿易による発展がその後の薩摩藩侵攻の原因となるのです。
当時の幕府と薩摩藩は琉球の貿易による利益に目を向けていたのです。
つまり鎖国状態にあった当時の日本は琉球の貿易による利益の収奪を目論んだというわけですね。
幕府は薩摩を利用して琉球を日本の支配下に置くことを目的に琉球の薩摩侵攻という手段で成し遂げたのです。
その結果、琉球は薩摩侵攻を受け薩摩の支配下に置かれ、さらには日本政府に併合されます。
日本は1871年に全国を廃藩置県としましたが、琉球だけはそれができませんでした。
その理由は当時の琉球は事実上、日清両属すなわち日本と中国・清の2国に属していたからなのです。
結局、日本本土の廃藩置県から8年後に琉球藩を廃し、強制的に沖縄県としたわけです。
これが歴史的に有名な琉球処分といわれるものです。
ちなみに時の琉球王国・最後の王である尚泰王は沖縄県が置かれることにより東京に華族という身分で移住させられました。
このように沖縄の歴史は琉球王国時代から波乱万丈ですが沖縄の波乱万丈は今日に至るまでまだまだ続いているのです・・・・・・・