アメリカ海軍のペリー提督は1853年に最初の琉球訪問をしました。
しかしそれより9年早い1844年にはフランス軍が琉球を訪問していたのです。
実は欧米諸国の中でフランスは最も早く琉球に交易を求めてきた国だったのです。
ところが当時の日本は鎖国体制下にあり、薩摩の支配下に置かれた琉球もその影響を受けていました。
そういう状況の中、フランスは苦肉の策として船が難破したように見せかけて琉球への上陸を試みたそうです。
しかしそれでも琉球はフランスとの交易を拒否しました。
その後フランスの琉球訪問は薩摩藩によって幕府に報告されました。
当時の幕府は琉球がフランスとの交易を拒否したことでフランスと日本が戦争になることを恐れたとのことです。
これに対する秘策として薩摩藩は琉球は日本ではなく異国であるからフランスと交易しても日本の鎖国政策とは矛盾しないと幕府に提言しました。
幕府はこれを受けて鎖国体制にあっても琉球とフランスの交易を認めて琉球とフランスの交易問題は薩摩藩に一任するという結論をだしたのです。
その後フランスは再度、琉球に対して交易を求めて来ました。
しかしそれでも琉球は重ねてこれを拒否したのです。
その結果、ついにフランスはあきらめて琉球から去っていったそうです。
さて、琉球がフランスとの交易を頑な(かたくな)に拒否した理由は一体何だったのでしょうか?
その理由は琉球が古くからの中国との交易関係を優先した結果だったのです。
このように琉球王国は当時から世界各国のアプローチを受けていたわけですが、まさしく海洋王国・琉球の名にふさわしいエピソードですよね。
日本の鎖国体制の中、薩摩に支配されながらも中国を始めとして世界各国との交易を行っていた小国、琉球は日本にとっては皮肉にも大きく頼もしい存在だったのかも知れませんね?