琉球が王国として統一される前、つまり三山時代は北山、中山、南山と三つの領域に分けてそれぞれの支配者によって統治されていました。
そして13世紀前半に最初の中山王として活躍したのが舜天でした。
舜天は琉球最初の国王といわれています。
実は舜天が源氏の子孫だという言い伝えがあるのです。
1156年に保元の乱で源為朝は平清盛らに敗れて伊豆大島に島流しになりました。
源為朝はしばらくして大島から逃れたのですが船が流されてたどり着いたのが琉球だったそうです。
ちなみに源為朝が流れ着いたのは沖縄県北部に位置する今帰仁村の運天港だという伝説があります。
運天港に上陸した源為朝は琉球の南に下って琉球南部の勢力者である大里按司の世話になったそうです。
その後、源為朝は大里按司の妹と結婚したのですが、そのふたりの間に生まれたのが後の中山王・舜天だったそうです。
そして源為朝は結局、妻子を琉球に残して日本本土に帰っていったとのことです。
しかし源為朝は朝廷軍に攻められて自殺してしまったのです。
源為朝のことは琉球で最も古いとされる1605年の歴史書・中山世鑑にも取り上げられているそうです。
その当時、琉球は薩摩藩を通して日本に服属していたわけですが、どうも源為朝の子孫説はその辺にカギがあるようです。
それは当時の幕府・徳川氏と薩摩藩の島津氏は源氏の子孫といわれていたことに起因するのです。
つまり琉球の日本服属を正当化するためには日本と琉球との関連付けを都合よくする必要があったわけです。
つまりこのことが琉球最初の王は源氏の子孫であるという意味付けだったようです。