貿易国家・琉球 | 沖縄の文化と歴史ブログ

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本土と違う沖縄の文化と歴史を書き綴るブログです。

四方を海に囲まれた海洋国家、琉球は貿易国家でした。


日本が鎖国時代にあった時も琉球王国だけは外国に門戸を開いていたわけですから、ある意味、琉球人の逞しさを感じます。


当時、鎖国状態にあった日本は琉球の貿易国家としての価値を認めてそれを利用することを考えていたわけで、その結果があの薩摩侵攻だったのです。


つまり薩摩を介しての琉球支配による琉球の貿易による利益の搾取だったわけですね。


琉球は中国はもちろんのこと東南アジア、インド、地中海にも行っていたそうですから国際性に富んでいたといっても良いでしょう。


当時の琉球はフィリピン、ベトナム、ジャワ、インドネシア、マレーシアなどと14世紀頃から交易をしていたのです。


琉球はそれらの国から手にいれた珍しい品物をを日本や中国との交易において活用しました。


とりわけシャム(タイ)は琉球にとってはもっとも重要な国でした。


シャムからの輸入品は香辛料、染料、象牙の加工品などが輸入され、逆に琉球からは琉球産の硫黄、中国産の絹織物や陶磁器、日本の刀剣、などが輸出されました。


とりわけ15世紀から16世紀の琉球は中国や東南アジアに大量の日本刀を輸出していました。


実は日本刀を東南アジアに広めたのは日本ではなく琉球だったのです。


そしてアジアとヨーロッパ間の交易の中心地であったマラッカ王国(マレーシア)とも交易を行いました。


このマラッカにはインド商人やアラビア商人の他にヨーロッパ商人も訪れていました。


琉球がインドと地中海まで行っていたのはそういう時代背景からも明らかなことでしょう。


資源を持たない弱小な国家であった琉球ですがそのマイナス面を自覚していたからこそ各国との貿易に目を向け活発に貿易を行うことで琉球王国存続の為に取り組んでいたわけです。


この琉球の交易活動についてはポルトガル人の記録にも残されているそうで、琉球のことをレキオと呼んでいたそうです。


当時のヨーロッパ人は大航海時代の真っただ中の琉球を尊敬を込めてレキオと呼んでいたのです。