沖縄県の中部に基地の街、沖縄市がありますが実は祖国復帰前からしばらくは「コザ市」でした。
日本全国で唯一、カタカナの市として知られていましたが基地の街というイメージから脱却するためと将来沖縄の中央に位置する県庁所在地になるという思いからその名もずばり「沖縄市」となったのです。
さて、このコザという地名の由来はもともと胡屋あるいは呉屋という地名を米軍関係者が発音できずにコザと発音したことにあるそうです。
米軍の発音のしやすから名付けられた「コザ市」は米軍が名付け親とも言えるわけで、ある意味、当時の米軍の力を感じます。
現在は沖縄市という地名に変わって久しいのですがそれでも尚、昔からの沖縄の人達はコザといいます。
そして一部、名前として残っているのはコザ高校などがあります。
しかし、当時の米軍主導で付けられた名前が皮肉にも沖縄の人達にとっては現在でも愛着があって中高年世代の人は沖縄市とはいわずコザと呼びます。
そしてあの有名なコザ暴動があったのもこの地域です。
米軍属の車と沖縄人(うちなんちゅ)の車との交通事故に端を発した事件でMP(ミリタリーポリス=米軍警察)の警察官が沖縄人に不当な扱いをしたことに沖縄人の怒りが爆発したのです。
日米地位協定を盾に日常的に米軍属優位の無法な対処をしてきた米軍に対する恨みツラミの積み重ねが根底にあって起こるべくして起きた暴動でした。
それは米軍属の車だけに火をつけて何十台と炎上させたのです。
米軍は戒厳令を発し米軍属の夜間禁止令を発しました。
それはまさしく戦争さながらの事件でした。
現在は当時に比べてだいぶ米軍属優位に対する改善はされてきました。
しかしそれでもやはり現在でも日米地位協定は大きな壁となっていることに変わりはありません。
米軍属が基地の外で犯罪を犯しても一旦基地の中に逃げ込んでしまえばそこはアメリカ、日本の法律は全く無力ですし、アメリカの法律だけが有効なのです。
フェンスを隔てて日本とアメリカに分かれるわけですからフェンスは言い変えれば国境といっても良いでしょう。
米軍基地は良くも悪くもこの地域に大きな影響を与えました。
実はコザという地域は基地の街ゆえに多くの有名ロックシンガーを輩出してきた音楽の街でもあるのです。
もちろんロックだけではなく民謡でも多くの有名な民謡歌手を生んできました。
いわば沖縄の音楽芸能文化をはぐくんできた中心的存在のコザは実は基地そのものがそのパワーの源だったということですから皮肉なものです。