試験当日 | あるバレエママの告白

あるバレエママの告白

デンマークの暮らし、教育、子どもたちを通して知ったバレエのこと、旅行の話などなど、ふと頭に浮かんだこと、思ったこと、感じたことをそのまま綴るブログです。

試験は10時開始だったけれど、ウォーミングアップをするために8時に息子は家を出て行った。


試験は、バレエ団芸術監督、バレエ団ダンサーで出席を希望する人、バレエ学校の教授陣、そして必ず外部からの審査員が加わって行われる。外部からの審査員は、公立バレエ学校の校長クラス級の方々で、必ずしもヨーロッパやイギリスからだけとは限らず、アメリカ大陸からわざわざいらっしゃる時もある。公立バレエ学校のネットワーク内で、レベルを管理し合うのが目的だと思われる。


今年は、近場のスウェーデンから、クレールマリー・オスタ氏がいらしていたそうだ。


12時20分頃に、「無事終わった」と言うメッセージが届く。


13時頃、帰宅した息子から詳しく試験の感想を聞く。


ウォーミングアップの最中に、元々怪我で不調だった同期の男子1人が試験を断念した。痛みが耐え難いものに悪化したという。そのため土壇場で立ち位置を変更しなければならないなど、プログラム変更のハプニングがあったそうだ。


男子は3人だけになり、ジャンプの時は、息を整える間もなく次のジャンプの順番が回って来てしまい、かなりハードだったと言う。


でも、息子にとっては、全て順調に進んで、ソロは、先生方から沢山の拍手をいただき、「ブラボー」も出たそうだ。


「自分の全てを出し切って後悔のない踊りが出来たので、どんな結果でも、もうどうでも良くなった」と言っていた。


結果、と言うのは、卒業試験に合格するか?否か?ではない。


試験のプログラムを踊り切った時点で、卒業試験は事実上合格だからだ。


息子が言う結果と言うのは、試験後にある、芸術監督との個人面談の結果だった。


それは、18時の予定だったので、息子は帰宅した後一休みして再度出かけて行った。


どんな絶望的な状況でも、0.1%くらいの希望は残る。


でも、レンスキーの運命は変えられることなく。息子は契約を貰うことは出来なかった。


男性ダンサーに与えられる契約がないと言う事実に変わりはなかった。


「契約は与えられないけれど、カンパニーのクラスに来てトレーニングしても良いよ」と言う言葉がまた繰り返されたそうだ。


「研修生としても、残って良いと言われているのですが?」と答えると、「両方に来ることが可能だ」と言う。


給料が貰えないって言うのは、契約を立ち上げるお金がないんだから当然だけど、公演に出してもらえるチャンスはあるのか?そもそもどんなステータスで劇場に出入りするのか?前例のないことなので、それが、何を意味するかは、今のところ全く不明。息子がどうするかも未定。


「やるだけやって、悔いはないので、今は、来週月曜日の生物の試験と水曜日の手術に集中して、バレエは暫く休む、8月以降のことはその後で調べて考える」と息子は言う。


息子は自分で考えて、自分だけの道を真っ直ぐに進むことが出来る大人になった。


だから、私も今日でバレエママは卒業します。(ブログのタイトルは気に入っているので、暫くこのままにしておきますが……)


「おめでとう!」って私が言ったら、


「その言葉がずっと聞きたかったんだ!」と、静かに、でも本当に嬉しそうに息子が答えた。