Never again with Lufthansa | 大好きな日々の覚え書き

大好きな日々の覚え書き

デンマークの暮らし、教育、天然酵母、麹、発酵の話、旅行の話、子どもたちを通して知ったバレエのことなどなど、ふと頭に浮かんだこと、思ったこと、感じたことをそのまま綴るブログです。

息子が約46時間の旅の末、なんとか帰国してきました。


いや〜長かったです。一時はどうなることかと頭がクラクラしましたよ!


「行きはヨイヨイ帰りは怖い」って、このことか?です。


この夏休み、一人で良く旅した息子にとって、最後に至難が待ち受けていた感じ!


結論から言うと、今は


「Never again with Lufthansa」


と言う気分です。


コロナが蔓延っていた時は、数少ない「キャンセルなしで確実に日本に飛ぶ航空会社」として、デンマークに住んでいる日本人の間では人気だったルフトハンザでした。


かく言う私も去年の11月にルフトハンザを利用して日本に帰国しました。


今はやっと再び(まあいつまで続くかわからないけれど……)SAS(スカンディナヴィア航空)が直行便で飛ぶようになったけれど、半年前までは「フィンランド経由でJALで日本」又は「ドイツ経由でANAで日本」って言うのが、デンマークに住む日本人にとって2つの強力な選択肢でした。


もうかれこれ10年くらい前でしょうか?JALに乗って、ヘルシンキ経由でコペンハーゲンに帰国した時、成田ーヘルシンキ間のフライトが凄く遅れて到着して、乗り継ぎに30分しかないと言う状況に私は立たされていました。過去に同じルートを何度か利用していたので、その時、走ればギリギリセーフで間に合うかもしれない?と思いました。でも、受けなければならない手荷物チェックや入国審査のことなどを考えたら(もうこれは急がなきゃ!)と、着席マークが消えると同時に超急いで誰よりも早く前進した私でした。


出口の側にいたCAに乗り継ぎフライトの搭乗カードを見せて、時間があまりない事情を説明し、出来るだけ早く降りさせて貰えないか交渉したのですが、カードを適当にチラリと見た後、JALのCA(日本人)曰く、


「お客さま、まだ時間があります。ファーストクラスのお客様の後でお降りください」


(は?今、大ピンチのこの時に、あなたは人をクラスで区別するんですか?)とムッときて、そう言う「既得権層の友」のような人は無視してドアが開いたら直ぐに出ようしたけれど、そのCAが仁王像のごとく立ちふさいで進むことが出来ませんでした。


ノロノロ出るファーストクラスの人たちにイライラしながら、最後の一人の後に続いて機内を脱出した後、ダッシュして数人を追い越して進むと、通路の先で、私の乗り継ぎフライトのナンバーが書かれた紙を両手に掲げて「お急ぎ下さ〜い」と促す地上乗務員の姿。


その方に誘導されて、優先的に手荷物検査を受けて、後はとにかくダッシュで次のゲートまで進みました。入国審査が意外とすんなり行って、これは大丈夫かも?と期待したけれど間に合わず、搭乗時間は過ぎていて、ゲートも既に閉じていてガラリとした状態でした。


ところが幸い、乗り継ぎのフライトが何かの事情で遅れていて、ゲートを通して貰え、無事に予定の便でデンマークに戻れました。


あの日、あのCAの名前を控えておいて、後でクレームを入れることが出来ていたら気が晴れたのかもしれません。それができなかったのでサッパリしなくて、私はその体験以来(もうJALには乗らないぞ)と決心して、実際に乗ったことがありません。SASが飛んでいたので、日本帰国はずっとSASを利用していました。SASのCAたちにサービス精神とかは期待できないけれど、はじめからないとわかっているので期待しないし、表現がダイレクトで、それが返って気楽。私にとっては快適でした。


でも、コロナだ財政危機だ、で、当時はSASが日本に飛ばず、去年の11月帰国時、JALか?ANAか?の選択肢で、迷わずANAを選びました。


チケットはANAを通して購入したのですが、「スターアライアンス」とかで、フランクフルト⇄羽田はルフトハンザでの旅でした。


なんて古い機内なんだ?なんて不味い食事なんだ?なんてつまらない映画なんだ?唯一OKだったのは、エコノミークラスでも食前酒にシャンパンもどきを注文できたことかな?


パスコントロールや手荷物チェック時に、フランクフルトの地上乗務員たちの威圧的な態度も気になって、文句だらけの旅だったけれど、無事に行って帰って来れたので、まあいいでしょう!と言う感じでした。


ルフトハンザはフライトが遅れた時に最低最悪、と言う噂は届いていたのですが、息子のチケットを予約した時はまだその選択肢しかなかったので、ANAを通してチケットを購入しました。


行きのミュンヘン→羽田のフライトはANAで、とても快適だったようですが、帰りはルフトハンザで、息子は私と同じような印象を持ったようです。


でも、問題が起きたのは、ミュンヘンに到着した後でした。


息子から「乗り継ぎのフライトがキャンセルになって、今日はホテルで一泊することになった。帰宅は明日の午後になる」と連絡が入りました。


その時は、ドキッとしたけれど、(まあ、そんなこともあるよな?)と、心配はしませんでした。長旅の末疲れ切っていて、一刻も早くベッドで寝たいと思っていた息子も、休暇が長引いて面白いかも?くらいの反応でした。


手配されたホテルは、空港から結構離れていて、その晩はなぜかお湯が停まっていてシャワーも浴びられないと言うオンボロホテルだったそうです。受け取ったバウチャーは夕飯の一枚で、並んでいたのはサンドイッチだけ!


翌日は早朝に出発して、朝食は空港で自分で購入。


前日、手配されていた新しいチケットは、ミュンヘン→ハンブルグ→コペンハーゲン。ミュンヘン→ハンブルグのフライトがちょっと遅れて、はじめてハンブルグでの乗り継ぎ時間が30分しかないことに注目した私たち。


悲観的だった主人の予想が当たってしまって、息子はハンブルグで次のフライトに間に合いませんでした。


息子には、全く落ち度がないのだから、直ぐに次のフライトを手配してもらえるのか?と思いきや、息子を待っていたのは地上乗務員たちの不親切で、冷たく、威圧的な態度でした。


ミュンヘンで、ルフトハンザから手配されて息子が持っていたのはSASのチケット。息子が元々持っていたのはANAのチケット。「私たちには関係ない、SASか、ANAに聞け」の一点張りで、助けてくれる気配はゼロ。


その後丸々1時間、あちこちに助けを求めて電話し続けた息子。でも、どこの航空会社も応答するのはAIのみ、いくらチャットしてもなんの結果も得られず、時間は過ぎるばかりでした。私も日本のANAに電話したけれど、既に日本では営業時間すぎていて人間と話すことが出来ませんでした。


ルフトハンザも、ANAも、SASも、スターアライアンスとか言う、航空連合のメンバーです。


彼らのキャッチフレーズは「Together. Better. Connected」


あんたらその意味わかってんの〜


です。責任回避するためだけの連合ですか〜〜?


その時はまだ「もう僕はハンブルグに残るしかないのか?」「確かハンブルグにもバレエ団はあったよね?」とか冗談を書いて来る余裕があった息子でした。


が、何度も助けを求める息子に「あんたには同じことをもう4回も行った」「SASかANAに聞け」「とにかく外に出てスーツケースを受け取って、帰りのチケットの手配しろ」


そこまで言われ完全に諦めた息子は、外に出て、スーツケースを受け取って、その足で電車に乗ってハンブルグ中央駅に向かい、チケットなしでコペンハーゲン行きの電車に飛び乗ちゃったのでした。ハンブルグ中央駅からコペンハーゲン中央駅は、4時間半の旅なので、それが一番早いだろう!と言う判断でした。


そして、夕方19時過ぎ。日本の祖父母宅出発後約46時間後に、無事にスーツケースをひとつだけ持って帰宅した息子でした。はい、スーツケースは2つ持って行ったのですが、もう一つのスーツケースはミュンヘンかハンブルグで行方不明になっていて、いまだに行方がわかっていません。


その日の朝、空港で自分で買った軽い朝食の後、バタバタしてクレジットカードを紛失してしまった息子は、食べ物を買うことが出来ず半日断食状態でした。クレジットカード紛失はもちろん息子自身の落ち度だけど、そんなに慌てるまで息子を精神的に陥れた人たちが憎たらしいです。


とにかく、どこよりも極悪だったのは、やはり、ドイツ内で一番責任があるルフトハンザとドイツの空港の地上乗務員たちだったと思います。


だから、今日のタイトルの結論に至った私たちです。デンマーク語からの直訳で間違ってる英語かもしれないけど……。


あんたら、賠償金の請求書届けるから、足洗って待ってろよ〜!と叫びたいです。


私は秋に日本に行きます。持っているのはSASのチケット!


SASさん、お願いだからそれまで倒産しないでね〜!


……長くなりました。


最後に、12時間後の便で日本を出発した長女と次女とその彼氏たちは、ANAに乗ってミュンヘン、その後もスムーズな乗り継ぎで定刻にコペンハーゲンに到着し、息子より早く帰国しました、と追記しておきます。お姉ちゃんたちと行動を共にしていればこんな目に遭わなかったのに、と、今回とことん運が悪かった息子は自信喪失中です。


はい、今日は、ここまで!