「卒業生『ふるまい』で最高点」
と言う見出しの記事を、駅においてある無料新聞で読みました。
それは、先週ブログにも書いた「卒業生ツアー」で起きた、ちょっとした美談についての記事でした。
「卒業生ツアー」と言うと、音楽、笛、歓声の騒音、酔っぱらった若者が特徴の「お祝いトラック」です。
ある高校の卒業生を乗せた、その「お祝いトラック」が、ある教会の方へ向かってきた時も、例にもれずお祝いムードだったようです。その時、その教会ではお葬式の真っ最中で、ちょうど出棺するところでした。参列者たちは、お祝いトラックの到来と出棺がマッチしてしまったタイミングの悪さに不安を抱いたようです。
ところが、その不安は一瞬のうちにかき消され、その偶然の出会いは、忘れられない美しい思い出になりました。
なぜなら、トラックに乗った21人の卒業生たちは、参列者に気付き、すぐさま音を消して、静かに動きを止めて、全員が「卒業生の帽子」を外し、それを胸に当てて故人と遺族に敬意を払った、からです。
たった15秒ほどの出来事で、通り過ぎると、彼らはまた音楽を鳴らして去っていったそうです。
それは「人生は続く」と言う故人の哲学に一致していて、参列者にとっては、悲しい一日に、元気を取り戻す体験になったそうです。
「どうやって一瞬のうちに場の空気を読んで、彼らはあの行動が取れたのだろう?」葬儀の後のコーヒータイムで、参列者の話の種になったそうです。
卒業生のふるまいに胸を打たれた参列者の1人が、FBにエピソードを投稿しいて、たちまち多くの人にシェアされて美談として広まりました。
「君たち全員に、『良識、礼儀、教養』の特別科目で最高点を送りたい」で終わる投稿に、多くの人が「いいね」したようです。
投稿への反応に驚いたそのトラックに乗っていた卒業生の「当然のことをしただけ」と言うコメントも記事に載っていました。
そして私は、この記事を読んで、自分自身の苦い体験を思い出しました。
大逆転のない、苦いだけの体験でした。
新聞の記事の若者たちは、北ユラン地方、いわゆる、デンマークの田舎の高校生たちでした。
これが、首都圏の、もっと細かく言うと、コペンハーゲン北郊外の高校生たちだったらどうなっていたかな?と、少し心配になりました。
若者たちは、きっと同じことをしただろう!と、信じたい気持ちです。
彼らが、40歳、50歳になって、自分のことで頭がいっぱい、ストレスいっぱい、キャリアウーマン、金持ち、権力者になった、その時に、弱い立場の人たちを思いやる気持ちが残っているかどうか?
それが、問題かと思います。
ちなみに、「エアーバック・ヘルメットの女」は義母に電話してきませんでした。
自分のふるまいを恥じて電話してこなかった、のかも知れません。
もっとも、弁護士と相談して、「この件は諦めるように」と忠告されたから電話してこなかったってことも、十分に考えられます。