『ジュエルズ』初演 | 大好きな日々の覚え書き

大好きな日々の覚え書き

デンマークの暮らし、教育、天然酵母、麹、発酵の話、旅行の話、子どもたちを通して知ったバレエのことなどなど、ふと頭に浮かんだこと、思ったこと、感じたことをそのまま綴るブログです。

デンマーク王立バレエ団(RDB)の芸術監督ニコライ・ヒュップはRDB出身のデンマーク人です(何度もしつこく書いてますか?)。

RDBでプリンシパルになった後、ニューヨーク・シティーバレエ(NYCB)に移籍、NYCBでもプリンシパルとして16年間活躍しました。

移籍後もRDBとの関係はバランスよく保ち、引退後2008年に芸術監督に就任しました。

NYCBとRDBとの関係は深く、NYCBの芸術監督ペーター・マーティンス(Peter Martins)がRDB出身なのは有名です。

そのMr.Martinsに「彼なしにはダンサーになっていなかったろう」とまで言わしめた人、School of American Ballet(SAB)で1964年から亡くなる1997年まで教え、多くのダンサーに影響を与え、あのルドルフ・ヌレエフやミハイル・バリシニコフも指導を受けたという名教師スタンリー・ウィリアムズ(Stanley Williams、1925-1997)もRDB出身です。

スタンリー・ウィリアムズはイギリス生まれでしたが、育ったのはデンマークでした。9歳でデンマーク王立劇場バレエ学校に入学、卒業後RDBでプリンシパルまで昇格、怪我で引退後、ニューヨークへ渡る前、バレエ学校でも教えました。

最近ある本で彼について読みました。そして、1人の卓越したバレエ教師の存在が、バレエ界全体にどんなに深い影響と意味を与えるかを思い知らされました。広そうで狭い世界、バレエ界は赤い糸で繋がっているようにさえ感じました。

1930-31年、バランシン自身もゲスト芸術監督としてコペンハーゲンに滞在し、『アポロン』(Apollon Musagetes)も1931年に演目に上がりました。

文章が長くなりましたが、短く書くと、RDBはバランシンとの繋がりが深く、『ジュエルズ』全幕を演目にあげるのが、現芸術監督の念願だった、という事です。

今回それが叶って本当に良かった!今日が初日です。おめでとうございます。

RDBには今はアメリカ人ダンサーが比較的多く、今回の『ジュエルズ』第1キャスト主役級の女性ダンサー達は気付いたら全員アメリカ人だったそうです。

第2キャストのリハーサルでしたが、私は初めて劇場で生の『ジュエルズ』を観ました。

技術的には、もっと上手に踊るカンパニーがある事でしょう。でも良く見慣れたダンサー達で観ると、良いものを作り上げよう!と一丸になって踊っている心意気が、いつも以上にヒシヒシと伝わって来て感動しました。

とくに、ダイアモンドのフィナーレ、他の作品では後ろの方で踊っている背の高い女の子達(日本人に比べると皆んな背が高いのですが、175cm以上の子もいるバレエ学校出身の女の子達)が最前列で生き生きと踊っていて、とてもゴージャスに見えました。それがバランシンらしさを引き立てて素晴らしかったです。

今シーズン最後に観るRDBの演目が『ジュエルズ』で本当に良かったです。

来週、新シーズン(2017/2018)の演目が公表されますが、もう今から楽しみでたまりません。

そうそう、オーケストラは香港出身の中国人Perry Soと言う指揮者での演奏でした。彼は動きが美しくて思わずそっちも見てしまいました(良く見える席に座っていたので気になりました)。途中1人音を外してしまった時、そちらを見て「大丈夫、落ち着いてーさあ、先に進もう!」と優しく語っているかと思われる表情で指揮していたのが印象的でした。その後は全体の演奏も一段と良くなった感じ、これもまたチームワークですね〜!

下の写真は新聞『Berlingske』の昨日の記事から借りて来た写真です。アメリカ出身のプリンシパル達に囲まれる芸術監督。ダイアモンドのホリーさんはSABで教師もしていた芸術監督ニコライ・ヒュップの教え子。14歳の時から目を付けていて、2008年スカウトして連れて帰って来たそうです。右手前のエメラルドだけがコールドダンサーでアルゼンチン人です。
{E2B5567B-AC68-472E-8C8B-3CA29B14F2F9}