6月18日(火)
昨日までエアコンつけて
今日は、炬燵に逆戻り。
そして、明日はまた30度とか。
何とかならんもんでしょうか、この気まぐれ天候。
父の日の16日、長女と孫2人と次女、そして私の5人で、昇仙峡へドライブしました。
末孫は、まだ昇仙峡に行った事がないので連れて行きたいと言う長女。
夫も、何年も山梨に来ていながら、昇仙峡を知らないのでは困ると言う。
夫は、昇仙峡には、何度も行っているからと留守番。
父の日なのに、「父抜き」(笑)
運転は長女。
やはり、乗せて貰ってのドライブは、とても気楽。
ゆっくり景色を楽しめるし。
先ずは、金櫻神社へ。
約2000年前、崇神天皇の御代に疫病が流行した折、少彦名命(すくなひこなのみことが疫病の退散と民の息災を祈願して、諸国を行脚したそうです。
その少彦名命を金峰山の山頂にお祀りし(これが奥の宮)、この金櫻神社は、里宮にあたるそうです。
沢山の風鈴が、爽やかな音色で和ませてくれる。
「さざれ石」とは、小さな石の事。
「君が代」の歌にある通り、小さな石が集まって大きな岩のような塊となり、そこに苔が生えるには、相当の年月を要します。
この岩は、さざれ石が岩になった物で、天然記念物になっているそうです。
小石が「落ちそうで落ちない」ので、合格祈願に良いとか。
まあ、何でもこじつけるもんですね。
神社本殿。
真ん中の輪を、左回り、右回り、左回りと、3回回ってくぐって参拝するのだそうで。
長女、次女、末孫も3回回って参拝。
まあ、お賽銭が置きっぱなし⁈
平和ですね〜、日本は。
如何に善良な国民か分かります。
長女と末孫は、御神木を見に、下りて行きました。
「お母さん、行かないの?」
と次女。
「行くわけないでしょ。この石段だもの」
行きは良い良い帰りは怖い。
どんな顔して上って来るのか、上で待ち構えていたら、いつの間にか2人、横に立っているではありませんか。
「どこから来たの?」
「御神木の横に、スロープがあって、ここに着いた」
なんだ、それなら行くんだったわ。
ここにも沢山の風鈴が、涼やかな音色を奏でています。
金櫻神社を後に、暫く走り、荒川ダムで一休み。
車から降りて、夫に電話しようと携帯を出したら、夫からの着信履歴が3件ある。
何かあったのかと電話してみた。
「ごめん、電話気づかなくて。どうかした?」
「あのさ、何にもする事ないから、カレーでもつくらっかと思って、今買い物してきた。今夜すき焼きするって言ってたから、買い物してきちゃ困ると思って電話しただ」
「あら〜、それは有難いわ。お願いします」
電話を切って
「今夜は、ジィジのカレーだってよ」
と言う。
「やった!ジィジのカレー、最高!」
「今回はないのかと思ってた。やったね」
孫達は大喜び。
「父の日なのに、お父さんが作るんだ」
「孫が喜んで食べてあげる、それがプレゼントになるのかもね」
さて、ダムを後に、昇仙峡へ向かう。
ロープウェイで、昇仙峡の頂上へ。
ロープウェイは、上下同時発車で、中央ですれ違います。
雲がかかっている山が、金峰山。
あの山頂に、少彦名命が祀られています。
水晶🔮を採掘した山としても有名です。
殆ど雪がない富士山が、小さく見えます。
1時近かったので、何か食べたかったけど、メニューが少ない上、ベラボーに高い!
下におりてから食べる事にし、娘達と1番目孫は、何とかの岩を見に下りて行きました。
まあ、良く歩くこと。
待っている間に、孫はソフトクリーム、私は焼き団子を食べました。
ロープウェイで下に降りて食堂にはいる。
食堂前にある、大きな水晶。
山梨県の名物を連想ゲーム的にあげると
☆富士山
☆葡萄
☆水晶
そして、ほうとう。
おざら。
「おざら」とは、ほうとうより細い麺を茹でて、冷水でしめ、温かい醤油味のつゆで食べるもので、昔は、お葬式や法事の料理の最後に必ず出ました。
遅い昼食になったので、私は次女とおざらを分け合って食べた。
昼食の後は、「影絵の森美術館」へ。
私は、藤城清治さんの幻想的な影絵が大好きで、ここへは若い時から何度も来ていますが、何度見ても飽きないし、見るたびに新しい感動を貰います。
日本のゴッホと言われた、山下清さんの貼り絵も多数展示されているほか、竹久夢二さんの日本画や、内海桂子さんの「どどいつ絵」も数点展示してあります。
一通り見終えると、娘達は、仙ヶ滝へ行くという。
私はパスして、美術館のロビーで、レモンスカッシュを飲みながら待つことにした。
そして、4年前、プラチナ会で来た時の事を思い出した。
仙ヶ滝にも行ったっけ。
2人とも、あの石段を下りてまた上ったよね。
あの時、Oさんは86歳。
Nさんは…89歳。
ええーっ、89歳⁈
今の私より、10歳も上だったなんて…。
今日の私は、あの石段を思い出しただけで、パスした。
あの時は私も元気だったから、2人が石段を軽々登る姿を、凄いなと感心しながらも、私も2人のようにいつまでも元気に過ごせると思っていた。
なのに、今の私は…。
あれから4年しか経っていないのに、あの時の2人には、とても及ばない。
つくづく情けなくなった。
交通の手段は、主に徒歩だった昔の人には叶わないな。
そんな事を考えていたら、みんなが戻って来た。
「歩き過ぎて足が痛い」
次女が言えば
「明日学校へ行けるかな」
と末孫が、これまたヘタレなことを言う。
これが文化的生活に慣れた現代人の実態。
「ジィジのカレー食べて、元気になって、また明日から頑張ろう!」