プラチナ会続き |  pianoforute村のムーミンママのブログ 

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6月12日(水)

高村光太郎の石碑を目指すも、ナビに出て来ないし、Oさんのナビは、ほぼ当てにならない。
分かっているのは、「富士川町高下」にあるという事だけ。
平成の大合併で、増穂町、鰍沢町、身延町が合併して富士川町になったので、広範囲になって、益々検討がつかない。

「どっか右に入ってずっとのぼるだよ」

とOさんは言うけれど、右に入ってずっとのぼる道はいくらでもある。

「来過ぎたかも…」

ボソッとOさんが言う。

すかさず、すぐ左にあるお店の駐車場に車を入れて、お店の方に訊ねる。

「この道を戻って、坂の上辺りを左に曲がってずーっと上って行くと、高下ですよ。高村光太郎の石碑は聞いた事ないからわかりません」

「やっぱり来過ぎたね。なんかそんな気がしたさ」

はいはい、もっと早く言ってくれる?

700mほど戻ると、かなり広い交差点があり、それを左折する。

さっきこれじゃない?って訊いたんだけどな。

ここからはずーーっと上り坂。
民家が少なくなり、道も狭く、所々に車の待機所がある正に山道。

あっ、あった!


「高村光太郎記念碑」の標識を見つけた時は、安堵して、思わず叫んだ。

しかし、それは、分かれ道にある標識で、場所を示す物ではありません。
でも、この道で間違いない事が分かっただけで、とても気が楽になった。

それにしても遠い…

「高村光太郎の石碑はどこか分かります?」

まだ多少不安がある私は、途中工事をしていた男性に訊ねた。

「ああ、ここをもうちょっと行くとあるよ」

ああ、よかった〜〜!

もうちょっと行くと、道が下りと上りに分かれて、上る方は「何とか公園」の表示があり、車を4、5台停められる草むらがあった。
草むらに車を停めて降りた。

しかし、公園とは名ばかりで、板を乗せただけの古いベンチが一つと、トイレがあるだけ。
草むらも、元は芝生だったのでしょう。
あるとしたら、この辺りだと思うけど、石碑は見当たらず。

「もしかしたら、下る方じゃないのかな」
と私。

「ちょっと様子を見てくるね」

Nさんが、トイレ横の急な階段を下って行った。
大丈夫かな。
私も一緒に行きたいけど、Oさんを残しておくのも心配だし、でも93歳のNさんが1人でこんな急な道を歩かせるのはもっと心配。行きはいいけど、帰りは上りだし、やっぱりNさんについて行こう。

「ちょっとNさんを見てくるから、ここで待ってて。どこへも行かないでね。すぐ戻るから」

車から降りかけているOさんに念をおして、Nさんを追いかけた。
トイレ横の坂を降りるとすぐ、民家があった。
この家で記念碑の場所を訊いたらわかるかも。
いや、でも、今はNさんを追いかけるのが先。
去年の私なら、走って追いかけたのに、歩くのがやっとの足がもどかしい。

しかし、500mほど歩いたけど、Nさんの姿はどこにも見当たらない。
道は一旦下るけど、すぐ上りになって、先は鬱蒼と茂った林の中。

大声でNさんの名前を叫びながら、少し林の中に入りかけたけど、怖くなって戻る。
Nさん、何処へ行ったんだろう。

なんかあったらどうしよう…

急に胸がドキドキし始めた。

気になったけど、数分でこんなに遠くまで来れるとは思えないので、一旦車に戻る事にした。
その時、少し遠回りになるけど、道路を迂回しようか、その方が楽だからと思ったけれど、少しでも早く戻る方がいいと判断して、トイレ横の階段を上って行った。

…迂回しなかった事が、この後の悲惨な出来事に繋がるのですが…

すると、何とNさんがベンチに腰掛けて、Oさんと話している。

ああ、よかった〜〜

Nさんは、例の民家で碑の場所を訊こうとしたけれど、いくら呼んでも誰も出て来ないので、諦めて戻ったそうな。

ああ、あの時私も民家に寄っていたら、Nさんに会えたのにね。

「どうする?もうちょっと先かもね。行ってみる?」

Oさんに言うと
「ここまで来ただから、行こう」

私は、もう記念碑はどうでも良くなったけど、Oさんが行きたがってるから、もうちょっと頑張るか!


書きながら疲れました。

ちょっと一休み…