高村光太郎の石碑を目指すも、ナビに出て来ないし、Oさんのナビは、ほぼ当てにならない。
分かっているのは、「富士川町高下」にあるという事だけ。
平成の大合併で、増穂町、鰍沢町、身延町が合併して富士川町になったので、広範囲になって、益々検討がつかない。
「どっか右に入ってずっとのぼるだよ」
とOさんは言うけれど、右に入ってずっとのぼる道はいくらでもある。
「来過ぎたかも…」
ボソッとOさんが言う。
すかさず、すぐ左にあるお店の駐車場に車を入れて、お店の方に訊ねる。
「この道を戻って、坂の上辺りを左に曲がってずーっと上って行くと、高下ですよ。高村光太郎の石碑は聞いた事ないからわかりません」
「やっぱり来過ぎたね。なんかそんな気がしたさ」
はいはい、もっと早く言ってくれる?
700mほど戻ると、かなり広い交差点があり、それを左折する。
さっきこれじゃない?って訊いたんだけどな。
ここからはずーーっと上り坂。
民家が少なくなり、道も狭く、所々に車の待機所がある正に山道。
あっ、あった!
「高村光太郎記念碑」の標識を見つけた時は、安堵して、思わず叫んだ。
しかし、それは、分かれ道にある標識で、場所を示す物ではありません。
でも、この道で間違いない事が分かっただけで、とても気が楽になった。
それにしても遠い…
「高村光太郎の石碑はどこか分かります?」
まだ多少不安がある私は、途中工事をしていた男性に訊ねた。
「ああ、ここをもうちょっと行くとあるよ」
ああ、よかった〜〜!
もうちょっと行くと、道が下りと上りに分かれて、上る方は「何とか公園」の表示があり、車を4、5台停められる草むらがあった。
草むらに車を停めて降りた。
しかし、公園とは名ばかりで、板を乗せただけの古いベンチが一つと、トイレがあるだけ。
草むらも、元は芝生だったのでしょう。
あるとしたら、この辺りだと思うけど、石碑は見当たらず。
「もしかしたら、下る方じゃないのかな」
と私。
「ちょっと様子を見てくるね」
Nさんが、トイレ横の急な階段を下って行った。
大丈夫かな。
私も一緒に行きたいけど、Oさんを残しておくのも心配だし、でも93歳のNさんが1人でこんな急な道を歩かせるのはもっと心配。行きはいいけど、帰りは上りだし、やっぱりNさんについて行こう。
「ちょっとNさんを見てくるから、ここで待ってて。どこへも行かないでね。すぐ戻るから」
車から降りかけているOさんに念をおして、Nさんを追いかけた。
トイレ横の坂を降りるとすぐ、民家があった。
この家で記念碑の場所を訊いたらわかるかも。
いや、でも、今はNさんを追いかけるのが先。
去年の私なら、走って追いかけたのに、歩くのがやっとの足がもどかしい。
しかし、500mほど歩いたけど、Nさんの姿はどこにも見当たらない。
道は一旦下るけど、すぐ上りになって、先は鬱蒼と茂った林の中。
大声でNさんの名前を叫びながら、少し林の中に入りかけたけど、怖くなって戻る。
Nさん、何処へ行ったんだろう。
なんかあったらどうしよう…
急に胸がドキドキし始めた。
気になったけど、数分でこんなに遠くまで来れるとは思えないので、一旦車に戻る事にした。
その時、少し遠回りになるけど、道路を迂回しようか、その方が楽だからと思ったけれど、少しでも早く戻る方がいいと判断して、トイレ横の階段を上って行った。
…迂回しなかった事が、この後の悲惨な出来事に繋がるのですが…
すると、何とNさんがベンチに腰掛けて、Oさんと話している。
ああ、よかった〜〜
Nさんは、例の民家で碑の場所を訊こうとしたけれど、いくら呼んでも誰も出て来ないので、諦めて戻ったそうな。
ああ、あの時私も民家に寄っていたら、Nさんに会えたのにね。
「どうする?もうちょっと先かもね。行ってみる?」
Oさんに言うと
「ここまで来ただから、行こう」
私は、もう記念碑はどうでも良くなったけど、Oさんが行きたがってるから、もうちょっと頑張るか!
書きながら疲れました。
ちょっと一休み…