生命エネルギー論と生命論 | 野人エッセイす

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「生命エネルギー論」で検索すると2億6千6百万件、最初の1ページの10件中半分の5件が野人エッセイすで、他に理論として組み立てられたものは皆無だった。

 

「生命エネルギー」で検索すると2億4千3百万件、あらゆる分野で自由に使われ、ヨガ、アーユルベーダなどでもそれぞれの解釈があった。

 

「生命論」で検索すると2億2千3百万件、これは「コトバンク」での解説があった。

 

以下・・・

生命論とは生命をどのようにみなすかについての理論的、体系的な考察。

古代ギリシアにおいてはデモクリトスなどの原子論者が機械的な生命論を展開し、生命は無機的な原子が偶然的に結合することによって誕生したとした。

それに対してアリストテレスは、事物はそのものの本性を実現する目的論的過程にあり、たとえば植物の場合は、種子が発芽し、成長開花するのが、それにあたるとした。その過程は機械論的な原理によって生ずるのではなく、目的因によって方向づけられているものとされた。古代・中世を通じてアリストテレスの見解がヨーロッパでは支配的であった。

近代科学が誕生すると、機械論的自然観が支配的になり、生命は機械的過程に還元できるとする考えが有力になった。しかし、生物には無機物とは違った原理が存在するという見解も繰り返し主張され、機械論と目的論の関係をどう考えるかは重大な問題となり、それと関連して生気論や全体論とよばれる見解も主張された。しかし今日では、多くの科学者は機械論的な見解を支持している。生命観ということばを生命論の意味で使うこともある。

 

まあ・・どれも哲学的、概念の域を出ず、考え方、見解など物理論とは程遠いものだった。

「生体エネルギー論」というのも出てきたが、その基礎は熱力学であり現状の考え方だな。

 

生命力、生命エネルギーという言葉は野人ブログ開始当初から15年近く毎月使ってきた。

解明が進むにつれて電子や電気、電気のようなエネルギーと名称も多彩。

そこまで特定して物理論として進めている人もいない。

顕微鏡でも見えないのだから概念の域を出ず理論にはなり辛いのだろう。

 

今はこの「生命エネルギー論」をまとめている最中。

何年かかってもなかなかまとまらないのは発展途上であり、今も理論の進化は続いているからだ。

 

2年前に決めた発行予定の書籍は3冊だったが、今は7冊に膨らんでいる。

分野のまとめだけでなく発行の順番に苦しんだが、最初に出すのはこの「生命エネルギー論」になるだろう。

 

これまでは協生理論に入っていたが、協生理論を理解する為の基盤は生命エネルギー論であり、動植物・生命そのものの基本的な仕組みがわからなければ協生理論は語れない。

成分・栄養学、カロリーなどの熱力学とは関係がないからであり、理論の基盤が異なれば始発点も思考順路も異なる。

 

生命エネルギー論から生まれたのが協生理論であり、これらは自然界の基本的な生命の仕組みであり人間の思惑とは無縁の理論。

状況により使い分けは必要になるが、生命エネルギー論と協生理論は同じものと考えても構わない。

 

協生農法とは人間の目的と自然界の仕組みを調和させた農産物生産の手法であり、実現には生態系が欠かせないが、生態系が農法ではなく目的でもない。

生産量を高めて業として成り立たせるのが協生農法の主目的だ。

国内では、実際にやって見せて生産高を証明しなければ農業として誰も後に続かないだろう。

 

協生農法は人間の道理であくまで農法だが、生命エネルギー論を駆使した協生理論は自然科学、生物学、生態学、環境学、さらには人間界の健康学、医学、獣医学など生命に関する分野すべてに及ぶ。

 

生態系の在り方、現農地、植林放置された山林、竹に覆い尽くされた山林などの復元、過疎化問題、生ごみ処理、汚染された表土・河川・海洋の復元など、問題は山積みされている。

 

これら人類が抱える問題をまとめて解決すると公言したお野人・・四面楚歌だな。

生きているうちに解決出来ずとも、解決の道だけはその道理をはっきりさせて残す。

道理が明確で結果も明白なら苦情も出ないだろう。

 

一応・・苦手な努力もやっては見るが・・

あの著名なタレントの「お黙りビックリマーク」ではないが・・

黙らっしゃ~いグラサン」・・と言えるような理論にしないと大ぼら吹きになってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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