思考の仕組みとバランス 1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

生命体と物質は何処が違うのだろうか。

当たり前のような問いかけだが、あらためて考える人も明確に答えられる人もほとんどいないのはそれが必要ないからだろう。

 

しかし自分が存在する以上、その仕組みを理解することは必要な事。

心身を自在に使いこなし、間違いが招く災いからも身を守ることが出来る。

 

「物質」については多くの科学者・哲学者・宗教家が論争を繰り広げてきた。

統一はされたが、原子も分子も量子も人が付けた名でさらにまた追加されて行く。

生命体もまたその体は有機物と言う物質であり、反語は無機物。

 

大気中の二酸化炭素と水から構成される物資が有機物、それ以外の水や空気や鉱物などが無機物。

元は同じと言えば同じだ。

だから有機肥料は微生物に分解されると無機になり、水に溶けて植物の根から吸収される。

 

野人理論では無機である化学肥料も有機肥料も同じもの、違いは多少のミネラルでしかなく、植物にとっては農薬同様に「不要な異物」には違いない。

有機野菜、つまりオーガニックを好むなら、化学肥料にミネラルエッセンスを加えて育てたほうが早く、同じものが出来る。

どちらも自然界の循環の仕組みには反し、自然界の産物とは程遠い。

 

草が密生する理由は表土の浄化槽であり、生を終えた有機物を元の大気に戻す役割を担っている。つまり大掃除が目的だ。

消滅失くして誕生などあり得ない、それが表土の仕組み。

生命の聖域とも言える表土を破壊し続け、不要な異物を投入し続ける農業が継続出来るはずもない。

 

日常的に使われる「物質」には多様な考え方があり、よくわかっていない。

野人もまた同じで、現状の科学物理・常識とは異なる物理論を説いて来た。

動物だけでなく植物・菌類など生きるものすべてに意識はあり、生命とは呼ばない物質にも意識はある。

その仕組みと程度が大きく異なるだけだ。

 

「意識」についても学問分野ごとに多様な考え方があり、動植物など線引きが成されているがどうでもよいことであり、そんなものを気にして野人理論は書けない。

 

野人は無機有機などの物質・非物質を問わずすべてに意識が存在すると確信している。

到底意識とは呼べないようなものから、動植物のように明確な意思を持って行動するものまで、程度は極端に違っても万物は意識と言うエネルギーの産物。

 

人間の道理で程度により線引きをして引き出しを作り過ぎるから迷路に入る。

有機に関する病不調の病名も膨大な数の引き出しがあるが、それで解決出来たかな。

無機・機械、同様に分業のほうが効率良しとしてそうしたのだろうが・・

解決率は無機100%に対して有機は限りなく0%に近い。

 

この差は、有機は学問の基盤から間違えているとしか言いようがない。

 

続く・・   次回 本題へ

 

 

 

 

 

 

 

 

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