河口付近 汽水域のハマボウの花 海水に強い
自然保護は大切な事として世界中で自然保護活動が行われている。
しかし、何故保護しなければならないのか、明確な理由がよくわからない人が多いのではなかろうか。
自然とは何かがわからなければ保護する理由も当然のようにわからない。
在来動植物の保護、希少植物の保護、干潟の保護、迷子の保護・・
理由がよくわかるのは迷子の保護くらいだろう。
自然保護が世界中で長年叫ばれ続けているにもかかわらず、人間の道理が優先され自然環境の破壊は続いている。
世界遺産や国立公園などに指定されれば法の制限もかかるが、国内の森林がそうであるように大半は人間の都合に負け続け、森の機能を失ってしまった。
理由は簡単、保護の道理が人間の道理よりも弱いからであり、弱い理由は漠然として曖昧、理由になっていないからだ。
道理の理とは物理であり、立派な言葉でまとめても理にはなっていない。
そもそも最初に言い出したのは一人の学者であり、専門学者は生態系、環境、あるいは宇宙など研究の場を守ろうと運動するのが当然。
それを中心に思考を進めればそうなるのだろうが、他と比較してそれらを凌ぐ確固たる理由が欠けているからだ。
それに賛同する人々は学者ではないのだから、詳細は分からずとも何となくと言うのが実情だろう。
やたら木を植えて緑化運動しても、やり方によっては環境破壊になるのは植林された山が教えてくれている。
山道、遊歩道、公園などを桜並木や同じ樹木、見慣れた庭木に揃えて緑化するのは良いことなのか、考えたことがあるかな。
防風林と称して全面松林を作るのは環境の為なのか、人間の為ではないのか。
干潟をいくら保護しても泥で埋まって行くのは何故なのか。
庭の樹木や花、菜園の野菜果物、ペット類、大半は外来種だがそれらは問題なくて、自然界の外来種には問題があるのか。
希少動植物と通常動植物の命の選別は何処にあるのか。
地球史では創世記・古代よりの動植物の大半は既に存在せず、移り変わるのが常だが何故現状の保存が必要なのか。 それを何の為にいつまで続けるのか。
移り変わるのが自然界の道理ではないのか。
これらのことは、保護を叫んで活動する学者・関係者だけでなく全員で考え、はっきり答を出すべきことではなかろうか。
自分達の未来がかかっているのだ。
自然界の仕組み、生物の仕組み、循環の仕組み、言葉の羅列ではなくこれらの物理的な仕組みが理解出来なければ是非の判断も出来るはずがない。
「森羅万象から見つめた食の本質とは」
野人エッセイすのテーマだが、野人は現在の自然保護活動に参加したことも賛同したこともない。
環境・健康に優しいと言うオーガニックもマクロビも健康・自然食品も、自然農もパーマカルチャーも、理由を明確にして矛盾・間違いを指摘して来た。
自然界の仕組みは完全であり普遍だが、自然の森は最高なのか。
本当に保護したほうが良いのか、それでよいのか。
これについて野人の所見を述べる。
続く・・・
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