横断中は 手を挙げて 挙がらなければ耳・・
一列になって歩道を歩きましょう~
道端は最高のエサ場 落葉樹の森も
山道を鹿の群れが手を挙げて横切って行った。
いや・・手が上手く挙がらないので耳を挙げていた。
お野人・・横断するまで驚かせないよう待機。
それからお行儀よく一列になって歩道を進み道脇のエサ場へ。
落葉樹の森は秋から春にかけて陽が当たり、草も豊かで鹿のエサ場になっている。
わずかな草を求めて鹿の群れは日々移動を続けている。
途中に道路があれば横断するしかない。
アフリカでも草を求めて移動を続ける象の群れと農地を作って森を分断した人間との間で摩擦が起きている。
日本の鹿に限らず、世界中で同じような問題が起きている。
鹿も猪も猿も本来の住処はお山ではなく森だ。
アフリカでも鹿の仲間やイボイノシシなどが草原や平地の森に住むように、猿の仲間が熱帯雨林の森に住むように、険しい山の生き物ではないのだ。
草木は協生、草は木を目指し続け、山も平地の草原も必ず森になる。
世界有数の降雨国日本は山の頂上から海岸線までの平地すべて豊かな森に覆われていた。
安全で美味しい水と獲物が得られる山の麓に人間は住み着き、長い間森と共に暮らして来た。
平地の森の木々を切り払う必要などなく、他の動物同様に森の恵みを受けていた。
農業で穀物が得られるようになると平地へと大移動が始まり、森を切り開き、住居、道路だけでなく広大な農地を整備、平地の大部分を占拠、動物たちを山に追いやってしまった。
人間はさらに植林によって山も占拠、常緑高木の密植は表土を陽光から遮断、むき出しの表土は保水力を失い川の水量は激減、動物たちのエサとなる草も木の実も望むべくもない。
海岸線から山の頂まで生態系の破壊・・
行き場を失った彼らは食べ物を求めて人工植林のない平地へ下りるしか道はなく、下りれば人間との摩擦が待っている。
山と平地との境界線、ギリギリの狭いエサ場で彼らは生き残ろうとしている。
植林の山を通る山道、わずかな陽光が注ぎ込み、草が生え、木の実が繁る道端は彼らの生命線なのだ。
最後の生命線まで奪い去れば彼らは生きて行けない。
鹿は車が通るすぐ横で草を食べたいわけではなく、人間に対する恐怖と隣り合わせだろう。
そうしながら子供を育て、種を繋ごうとしている。
庭や畑で人間が持て余している草・・その草を得ることが鹿にとっては困難。
山には木もあれば草もあるのが当たり前だが、今の日本の山では草が豊かな森を探すほうが難しい。
野人がやろうとしていることは荒廃農地の再生、農業の再構築だけでなく、多くの生き物が暮らせる森の再生。
鹿を驚かせ、恐怖感を持たせたくはない。
家族で安心して食べられるよう、停車して待つか、徐行するようにしている。
ここまで追い込んだのは人間なのだからそれくらいの慈悲があってもいいだろう。
野人の会社は駆除された野生肉の処理も販売もする。
場合によっては檻にかかった彼らに止めを刺さなければならないこともある。
それ以外の日は同じ生き物として接している。
それは海の生き物に対しても同じだ。
人間がお手上げ状態のお猿さんだって・・
子育てしながら毛つくろいする親猿、母親の背にしがみつき情けない目でこちらを見る子猿、健気で可愛いではないか。
開墾農園ではビワや柿やハッサクやキウリなど随分提供したが、怒ってもおらず野人は彼らが嫌いではない。
むしろ・・笑える。
タヌキやムジナやイタチの目も無邪気で可愛い。
重要な部分・時期は防御も必要だが、彼らの分までどっさり産物を提供したいと考えて開墾を進めている。
多めに山に植樹して種を蒔いて放って置けばよいのだからたいした手間でもない。
常緑樹を密植しなければ草は全面密生して鹿のエサ場になり、草刈りは彼らがやってくれる。
運悪く、食肉としてお野人の前に現れることもあるだろうが、人間だって殺生なしで生きては行けない。
いつか山が動き、豊かな森になり、人間と共に暮らせる日も来るだろう。
解決にならない猪と鹿の駆除 1~3
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海に潜り 山に潜る
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鹿さん達のプリンプリンしたお尻にときめいた人 ポチ