農業において微生物は重要な役割を果たしている。
EⅯ菌などの微生物投入、微生物液の培養、バーク堆肥や木材チップなど炭素資材の大量投入なども微生物を大量に含む。
これらは物資の投入による農産物の生育を目的とするもの。
これらを肥料とは言わないが、微生物も木材チップも有機物。
人間が故意に大量の有機物を与えるのだからどれも有機農法に入るだろう。
自然界ではあり得ないのだから、野人の言う「自然界の仕組み」「森羅万象」とも関係がない。
その行為が自然界にどのような影響を与えるのか、その視野だけでなくそれに関わる労力・費用など考えれば自然界とどう違うのかがわかる。
自然界に優しい、動物に優しい、微生物が活性・健康に良いと言う物理的な根拠はどこにあるのか。
健康目的で腸内細菌を増やし、発酵食品を求める志向と同じ道理を表土にも持ち込もうとしているように思える。
微生物の投入や増殖で農業が成り立ち、表土が復興、健康にもよいと唱えるのであれば、砂漠でも熱帯雨林でも実践して結果を見せればはっきりする。
そしてそれが世界中の誰にでも無理なくやれることなのか、枯渇、破綻せず継続出来ることなのかを証明して見せればよい。
足し算も引き算もせず、生き物が暮らせるのが自然界であり、何故それらが本来は必要ないのか、何かやろうとする前にその物理的理由を理解したほうがよいのではなかろうか。
耕して何かを与えなければ自然界は成り立たないのか、生き物達は困っているのか・・
むしろ人間が関わるほうが困っているではないか。
使い切れないほど優れた脳機能を持つ「人知」とはその程度のものなのか。
野人はこれを人知なき戦いと称し、学者達に再考を促している。
世界で最も多い職業は農業だが、豊かなのは先進国の一部の人達であり、時間と費用を持て余し、多様なことを考え実行する。
産業には貢献するが地球には貢献せず、逆に破壊の方向へ向かっている。
世界では農業も表土も崩壊、農業に関わる大半の人は貧しく、肥料、資材、機械の部品どころかその日の糧にも困窮、飢餓、紛争を招いている。
そこに先進国の道理が通用するのか考えるとよい。
その人達が普通に暮らせるようにするのが最優先であり、それがやれなければ科学ではなく学問とも言わない。
同じ人間、永遠の施しを望むはずもなく、自立して生きることを望んでいる。
立場を換えて自分に置き換えて見ればそれがわかる。
地球ではそれが出来るようになっている。
人類は長年そうして生きて来たのだから。
動植物は動植物の中で生を営んでいる。
有機の中で生命は生命を繋ぎ、有機なくして生きられない。
有機肥料から化学肥料、さらに微生物と・・人は何を与えれば植物がよく育つかを追い続けた。
自らの体に対しても何を与えれば体に良いか、何が悪いかを追い続けた。
生命は、特に植物は与えられることを必要としていない。
生命は完全であり、完全な生命は完全な生命によって育まれている。
完全でなければ不調を招く。
今の農業の在り方は間違っている。
土作り野菜作りと言うが生命を扱う農業は製造業ではないはず。
水も資金も時間も豊富な日本においても後継者がいないのは、理に合わない労力と経費を伴う製造業に徹したからではないのか。
早く、立派に、作ろうとした人類の前向きな意欲が現状を招いたが、早く立派に作らなければ環境は回復、健康もそれに倣い回復、業としても復活する。
意欲と情熱と知恵、どれが欠けても前には進まないが、意欲と情熱だけでは活路は開けず、知恵のベクトルが正しい方向へ向かわずして科学もあり得ない。
科学は間違いと修正の連続であり、現常識もまた正しいとは限らない。
意欲も方向を誤れば欲となり、人間中心に進めばエゴとなる。
生命に関することは生命の仕組みを理解し、地球環境、人間を含むすべての生き物が健全に生を営める方向へ進むべきだろう。
これらの問題が解決出来ないのは間違えたツケが回って来たからだ。
修正してツケを払い、すべてを復元出来るのは人間の知恵しかなく、本来の形より素晴らしい環境を築けるのも人間しかいない。
表土の嵐
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