3年前の今日は、末期肺腺癌で延命処置も不可能だったむー母の復元を確信した日。
人生バラ色の特別な日だった。
ブログ管理ページに
「〇年前の今日あなたが書いた記事があります」と連日表記されるが、気にも止めなかった。
しかし今日はこの記事を読み直した。
生命エネルギー論を公開した翌月にむー母は末期肺腺癌と診断され、ステージ4で余命2カ月だった。
確信を持って公開した理論で私を治してみなさいとばかりに、タイミングよく判で押したように・・
それまで健康診断の数値すら狂ったことがない健康優良婆・92歳のむー母。
ダンスに詩吟にフォークソング、短歌に野山歩き、図書館通いで毎月6冊の本を借りて読んでいた。
母子揃って病状を伝えられた時、むー母とお野人は笑っていた。
死の宣告すらお笑いに変える親子だった。
しんみりと話す医師と看護師さんは一緒に笑えずに戸惑っていた。
あれだけ精力的に習い事に通っていたむー母の潔さをあらためて思い知らされたが、それを瞬時にお笑いに変えることなど普通に出来ることではない。
世話になった医師や看護師さんへの心遣いもあったろうが、母は心から笑っていた。
お野人は、野人理論をまったく信用しない母が崇拝する医者がお手上げした瞬間、
「やっと出番が回って来た」「やっと恩返しが出来る」と・・嬉しかったな。
帰りの車中で
「母ちゃん まかせとけ 必ず治してやるから」
母は笑って・・「ハイハイ」と素直だったが。
まったく信用していなかった。
そして友人達へのお別れの挨拶、記念品、野人へのしつこい遺言、葬儀の段取りとますます精力的に動いた。
復元を確信するまでの4か月間は苦しかった。
確信はしても、日々呼吸困難、食べられず、歩けず、23キロまで痩せ衰えて行く母を見ていられなかった。
絶体絶命の11月末から急激に回復に向かい、3年前の今日、完治間近の記事を書いた。
むー母との約束が果たせそうで感無量だったな。
この時の母の名言は・・
「予定通り死ななくて 先生に申し訳ないわ・・」
これも常人に言えるセリフではないな。
先生からもう病院に来なくていいと言われた母は・・
なんだかんだ理由を付けて月一回の検診に来ることを先生に頼み込んでいた。
連れて帰ろうとした時も、ドアにしがみついて先生と話し続けた。
順番待ちの多くの患者の視線を浴び・・
お野人は とっても 恥ずかしかった
笑わせるつもりは全くないのに笑わせるのがむー母の特技。
母を尊敬、93年間も育ててくれた恩は忘れない。
リブログしたのは初めてだな
むー母絶好調 回復に向かう
https://ameblo.jp/muu8/entry-12099167800.html
むー母 病院卒業式
https://ameblo.jp/muu8/entry-12121811629.html