今日は朝からむー母を病院へ連れて行った。
肺腺癌で右の肺に水が溜まり、修復不能宣告され、週に一度1500ccの水を3ヶ月間抜き続けた。
やがて水は激減、1ヶ月経っても水は溜まらず、さらに1ヶ月後の今回も溜まらず先生の診断を2人で聞いた。
通院はこれで卒業、悪くならない限り来る必要はないとのことだった。
母もこれですっきりしたようで、それまではぶつぶつ言っていた。
「水抜きで毎回、先生と看護婦さん達が首をかしげるばかりで何も言ってくれないから、治っているのか治ってないのかさっぱりわからないわ」・・と。
母がさっぱりわからんように先生もさっぱりわからんから伝えようがなかったのだ。
さっぱりわかっていたのはお野人しかいない。
先生曰く・・この段階で、何故肺の穴が全て塞がり、水がまったく溜まらなくなったのかわからない・・
「私のこれまでの経験ではこんなことはあり得なかったし、他で聞いたこともありません」
先生は当初、治療不能 ガンは進行中 絶対に穴が塞がること水が減ることはありませんとしか言わなかった。
それでやがて呼吸困難、余命幾ばくもない状況だと察したのだが、あらためてがんの程度を聞いた。
「ステージ4で、今の医学では延命処置すら施しようがない末期がんでした」
つまり、手もつけられない最悪の状態から、何もせず短期間で回復した人は先生の知る限り1人もいないのだ。しかも93歳という高齢・・
首を傾げ、診断結果をなかなか伝えられなかったのも無理はない。
がん細胞は消え去っていないが、悪さをしないのなら問題ないとのこと。
野人理論では、ここまで来れば完全消滅は時間の問題。
お喋りのむー母が先生に言った。
「この子がね、水流何とかの忍術で水もがんも必ず消すと約束してくれたんだけど・・まったく信用してなかったの 不思議ね~
」
まったく余計なことを・・先生が困るだけではないか。
「この子の顔は真っ黒いけど先生の顔は白くて本当に綺麗ね~」とか・・
相変わらず先生と看護婦さんにお笑いと愛嬌を振りまき、腕を引っ張ってもしがみついて帰ろうとしない。
活気がある病院に未練があるようで、結局・・月に一回は定期検査に来ることになり、この先生の出勤日に合わせて予約していた。
これで大好きな先生とも逢えるな母ちゃん
母は仲間にお別れの挨拶も済ませ、記念品も渡し、
「予定通り死ななかったらみんなにも先生にも本当に申し訳ないわ・・」と言っていたが、その言葉を先生に伝えると・・
「そんなことはないですよ いいことです」
照れ笑いしながら素直に喜んでくれた。
これで気にしていたむー母も安心しただろうな。
帰りの車の中で母が言った。
「もうしばらくは生きられると思うと楽しくなって来たわよ お相撲も面白いし・・本もたくさん読めるわ」
「そうじゃ母ちゃん これから老後の勉強しっかりしとかんとな」
「先生 こんなことは初体験と言っていたけど 少しは役に立てたかねえ・・」
「うん 先生に貢献したことは間違いないな 話は病院中に広まり事例として残るし 絶望的という言葉も使えんから肺ガンの歴史が変わる 母ちゃんが1%の可能性を最初にこじ開けたんじゃ」
「そう思うとなんだか嬉しくなってきたわよ お前にも役に立ったかい」
「当たり前じゃ 絶望が希望に変わり 喜ぶ人が大勢いるわい」
母には本当に感謝している。
当人は何のことかわからないだろうが・・
「私の体を見事に復元させて見なさい」・・と、
野人理論の集大成として実験台に立ってくれたとしか思えないのだ。 最悪のステージをお膳立てして・・
野人エネルギー論を発表したのと同時期、あまりにもタイミングが良過ぎる。
それまで健康診断の数値は狂ったことがなく、ボケ知らずで胃もたれとは何かも知らない。
後がない、失敗が許されない状況・・背水の陣
むー母の体で野人は理論を実践、結果を出した。
呼吸が苦しくてほとんど何も食べられず、喋れず、歩けず、体力の限界まで痩せ細り・・骨と皮
絶体絶命のピンチから脱却したむー母・・
これで野人は迷うことなくエネルギースープの研究に没頭出来る。午後からまた調理場に籠もった。
頑張ってくれて ありがとう・・母ちゃん
むー母の忘年会
http://ameblo.jp/muu8/entry-12109809872.html
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