カルチャーショックの復元法・・
何ともよくわからん言葉使いだが、他に適当な表現が見当たらないのでこれでよいだろう。
カルチャーショックとは・・
文化的衝撃と訳されることもある。
文化とは人間の行動や考え方の指針となる価値体系。
一つの社会に属する人々は文化を共有、そのため人間は自分の文化を基準にして相手を理解しようとするが,自分の文化と異なる文化に出会ったときには,さまざまのショックを受ける。
このように書かれている。
野人エッセイすを読んで自らの頭で考え、関心を持った人、野人講習会に来た人のほぼ全員がこのカルチャーショックの洗礼を受ける。
習ったことがない異次元の理論、思考順路だからだ。
作った野人も習ったことがないのだから、当然習った人などいない。
最初から、そんなばかな・・
「野人の頭は絶対おかしい」と・・去る人。
この場合はカルチャーにもなっていないのだから、カルチャーショックとは言わない。
常識、科学、医学という権威から学び覚えるのが大前提であり、野人理論は視野にも入らないだろう。
それで現状に何の問題もないのなら野人理論は必要ない。
問題があるなら新たな道を模索するしかない。
野人理論はその新たな道の一つに過ぎない。
毎日懸命に学び、それでも理解し難い人の為にこの記事を書いている。
国内はもとより世界各地から伊勢へやって来た。
ブログや本で学ぼうとする人、何度も足を運ぶ人。
最初から「道理があると理解・判断」、カルチャーショックもなくやって来たのは原人しかいない。
学ぼうとする人にとって大切なことはカルチャーショック後の姿勢、方向性だ。
重要なポイントは幾つかあり、講習会でも毎回のように伝えている。
現状は、質問のほぼすべてと言ってよいほど、大半は噛み合わず質問になっていない。 答えられるものは応えるが、鋭く歯ごたえのある理論の質問はない。
何故質問にならないのかを踏まえ、理論の最初から解説するのはそりゃあもう大変な労力であり、場合によっては1日では不可能な質問もある。
まあそんな場合は回答を放棄するしかない。
「何で・・こんなモン作っちゃったんだろう」
と・・ その度に神様に懺悔している。
このギャップは理解認識方法の違いから生じるもので、学問の領域の違いだ。
質問が噛み合わないのは理論が最初から理解されていないからであり、されなければ自身の長年の思考順路から素朴な質問が出るが、仕方ないと言えば仕方ない。
当然、先生は簡単に答えられると思うから質問するのであり、野人を困らせようとしているのではないからだ。
そんな時も含めて最も多用した言葉は・・
「今の知識・思考パターンをすべて捨てて来なさい」
まったく異質の文化を自分流に解釈すれば、人それぞれ・・になるが、理論には絶対にそのようなことがなく、人それぞれもない。
「これは物理の授業 国語ではない」
これが2番目に使う言葉で、道理も答も単純明瞭、そこに一切の異物も例外も入らない。
習った知識も自らの考えも思いも入ることなどない。
その理由は・・
協生理論は、物理的根拠もなく結果が出ない現在の「生命に関する学問全て間違っている」ことを前提に、基礎から組み立てた理論であり、その協生理論や大元の野人理論に、現在の説や道理を組み込むことなど出来ず、併用も出来ない。 単純な理論なのだ。
他からの足し算も引き算も出来ず、「なるべく」も「出来るだけ」も「少しずつ」も存在しない。
数学物理の回答は〇か×で、△はない。
思い出してみるとよい・・
中学の数学や理科で習う公式に、聞いて習った他の内容や自分の思いを自由に張り付けることが出来るかな。
そんなことした人も、出来た人もいないだろうし、やれば先生は目をパチクリさせるだけだろう。
ため息つきながら・・「後でね・・」とか。
高校大学の物理と違い、野人理論は日常の暮らしの物理であり簡単。
余計なものを持ち込まず素直に受け止めれば難しくはない。
続く・・
野人理論を理解する単純なコツ
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人は何を間違えたのか
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