大切なものを失くした大人たち | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

今日は終日話し続けた。

スタッフと打ち合わせ、茶屋人との打ち合わせ、3年ぶりの知人の来客、地元の前議員、体調不良のお電話相談・・

 

立って動いている時間よりも座って喋っている時間がほとんどだ。 ご飯食べる時間も省エネした。

 

気楽な日常会話やお野人ギャグならともかく、終日真面目に親身に考え続けたのだ。

お笑い省エネのお野人、真面目過ぎるのは体に良くない。 帰り道では意識もうろう、無気力症候群・・

 

帰ってから記事を書こうとしたのだが、頭には何も浮かばない。

やりたくない病ではなく、浮かばないのだ。

 

思考エネルギーの枯渇だな。

脳ミソは休養を望んでいる。

 

せっかく訪問していただいて申し訳ないが、お野人ギャグも出て来ない。

 

7年ほど前の記事だが、野人のお気に入り。

あれから比較にならないほど読者数も増え、読んでいない人もいるだろう。

数カ所修正したが、今日はこれで ごめんね・・

 

 

大切なものを失くした大人達

 

文明とは、「何故?」から入り、世間から非常識と言われながら可能性を追求した人達が積み上げた知恵の結晶だ。

 

ホモ・サピエンスとは「知恵のある人」のこと、知恵とは覚えることではなく使いこなす思考回路のことで、火と道具を使いこなすことからそれは始まった。

 

知識は使いこなす為の一つの要素に過ぎず、いくら覚えてもそれだけでは役には立たない。

記憶するだけならパソコンが一番だが、パソコンが知識を人の脳のように使いこなせるはずもない。

 

仕組みや使い方を言葉で覚えても同じこと。

数学の解き方を言葉で覚えるようなもので、野人理論を国語力で翻訳するようなものだろう。

理論とは答えではなく、答えを導く為の道具に過ぎない。

理論や方程式を幾つも作ったが、そう難しいものでもなく、誰にでも簡単に使いこなせるものばかりだ。

 

心が入らないから理論に先入観もなく、答えは出るべくして出る「ウンコ」のようなものだ。

野人はうんこ・・いや、答えを伝えたいわけでも、廃止運動家や教祖様になりたいわけでもない。

「判断」に最も必要な「考え方」思考順路を波及させようしている。

 

目的に合わせて何処から思考を開始するのか、それが最も欠けているから迷路に入る。

欠けてしまった原因は個々の感性であり自由な心、心を現実の判断に持ち込むからそのようになる。

 

人にとって一番大切なものは心であることに変わりないのだが、心は別の棚にしまっておけばよい。

現実の答えを求める理の世界には無縁のものであり、「たぶん」もなければ「思う」もないのだ。

 

数学物理の授業に各自がそれを持ち込めば先生も困惑、授業にはならない。

小さな子供が「何で?」「それ何?」と口癖のように言うのは名前ではなく、何の為にどのように使うのか、その「仕組み」を知りたいからだ。

 

これは生きようとする本能であり、大人になるにつれて人は「何で?」を忘れてしまった。

本能を満たすことより社会に馴染むことのほうが大切なことを教わるからだ。

 

生き物本来の価値観から人間社会の価値観へと移り変わり、お膳立てされた情報社会の中では考えることよりも覚えることのほうが多くなり、ホモ・サピエンスとしての学びの姿勢が失われて行った。

 

人間社会、教育に洗脳されたと言ってしまえばそれまでだが、生きると言うことは地球の他の生き物同様「自己責任」だ。

 

学ぶと言うことはひたすら本を読み、聞いて教わることではない。

何を見て、何を学ぶべきなのか、その仕組みを知り自ら判断することであり、今からでも遅くはない。

 

人間の常識から思考を開始する限り常識の壁を超えることはない。

結果も出ない、矛盾だらけの常識に自らの運命を託すほど人は愚かではないはず。

 

先入観やプライドを捨て、自然界を見て子供心を呼び戻してもらいたい。

真実は身近なところにあるものだ。

 

 

野人理論で解く体の不調 思考順路

https://ameblo.jp/muu8/entry-12264965627.html
消え行く大河

https://ameblo.jp/muu8/entry-12193397391.html

 

 

 

 

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