野人理論には生命力、生命エネルギーと言う言葉がよく出て来る。
エネルギーとは何か、一般的には大きく2つの意味で使われている。
物理学的には「仕事をすることの出来る能力」、物体や系が持っている仕事をする能力の総称。
日常生活では、物事を成し遂げる気力・活力、活動の源として体内に保持する力・・とされている。
物質が持つ力、生命が持つ力、どちらも「持つ力」には変わりない。
前者には、位置エネルギー、運動エネルギー、熱エネルギー、電気エネルギー、化学エネルギー、光エネルギー、核エネルギーがある。
一般的には、「エネルギーが落ちた」「エネルギーの充電」と言う言葉がよく使われ、気力活力が落ちたということなのだが、これは前者のどれに当るのだろうか。
自然界は無機質と有機質で構成され、有機は無機から生まれてまた無機に戻るという循環を繰り返している。
物質である石や鉄や機械装置も、生命を持つ有機体も同じ物質に変わりなく、同じ自然界の一部である以上物理法則は当てはまる。
機械は自ら動かないが生命体は自ら動く。
動物は意思を持って判断しながら行動、植物もまた意志を持って重力に逆らい上に向かって伸びるし、根は横にも下にも延びる。
それらの営みには、気力を維持するエネルギー、体力活力を維持するエネルギー、この2つを生命は必要としている。
体力活力を維持するエネルギーは機械装置で言うなら「燃料」に当るものだが、機械装置にはない生命体の「気力」とは何に当たるのか。
機械装置で気力に当たるのは操作する人間なのだが、その人間が活動するのに必要な気力とは何なのか、それをはっきりさせなければ生き物が行動する仕組みはわからない。
気力とは意志であり、その意志通りに動く体は動力を必要とする。
当たり前のことなのだが、これが明確にされていない。
動力としてはカロリー論が常識であり、熱量と言う言葉が使われるように、食べ物による熱エネルギーとされている。
つまり、食べることで動力も維持管理もすべてまとめてやっていると考えられているのだが、肝心の気力、意志の理論がないのだ。
気力を維持するエネルギーは自由な解釈でそれぞれが対応している。
生命に最も重要な仕組みがはっきりされていないのもおかしいが、前者のカロリー、栄養成分論も間違っていると野人理論を公開した。
根拠は単純であり、結果が出ないからだ。
気力活力に四苦八苦するどころか、人類全体が命を落とす病に苦しんでいるのだ。
機械装置が寸分の狂いなく機能するのに対して天地程の差がある。
これだけ違えば、間違っていないと信じ込むほうに無理がある。
はっきり、「間違っている」と唱える人はあまりいない。
続く・・
エネルギーを求める人間の願望
http://ameblo.jp/muu8/entry-10255749913.html
パワースポットは自分で作れる 1
http://ameblo.jp/muu8/entry-10449477644.html
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