協生農法とは農産物を人が育てるのではなく、自然界の仕組みを活用して生産する農法。
人による施肥ではなく、植物は生命エネルギーによって育つ。
基盤となる生命エネルギー論は出来上がり結果もそのようになるが詳しいメカニズムは未解明であり実験中だ。
果樹が繁る本農園は草類の多様性も築かれ、野菜類の発育は樹木のない畑よりはるかによい。
農園内にもムラがあり、樹木の下の方が大きく育つ。
植物族の頂点に立つ樹木の生命エネルギーも関係するだろうが、木の地上部は枝葉に至るまで微生物や昆虫などの生命が溢れ、雨と共にそれらの有機物が地表に注ぐ。
つまり、表土上の空間にも生態系を築き、生命の電気を帯びた水と天燃肥料分が他の場所よりはるかに多い。
土質、表土植性の影響もあるだろうが、樹木の種によっても生長度の開きがある。
キウリはネットや竹柵などより、生きた樹木に絡みつくほうが何倍も生長、実を付ける。
草原がそうであるように、生息する草の種類は限られるが、木々の囲まれた野山の草は多様性が高い。
平面と立体では生息する生命量に大きな開きが出る。
アフリカのサバンナも同じで、大木の周囲は植物の多様性が高い。
表土の乾燥を防ぐほど生命は過ごしやすくなる。
植物は動物性の有機物を必要とし、動物と共に地上に繁栄して来た。
ほどよく陽光が差す木の周囲は、動植物のバランスがとれた立体的な生命エネルギーのエリアだと考えている。
1年草の草や野菜の大半は進化した多年草には敵わない。
だから農業における草の除去が常識になってしまった。
樹木のない表土を耕し続け破壊、求める同種の野菜だけを育てることに無理があり、肥料で早期肥大させることでさらに病や虫害などの災いを招き入れる。
労力も出費も大変なだけでなく、辛く余計なことも多く、結果として農業が成り立たなくなり、後継者もいなくなった。
自然界の仕組みを理解し、人間に出来ない事は彼らにやってもらい、共に生きれば農業は楽で楽しい。
腰が曲がることも、食べて行けなくなることもない。
習い覚え、長年培った思いを捨て去る事は困難だが、既成観念に囚われることなく、肩の力を抜いて自然界を観察すれば気づくことも多い。
先祖から伝わり続けた農地がこのまま消滅するか、再生して人間を含む生き物達の為に大地を活かすか、少しでも可能性があるならやってみればよい。
やって駄目なら森にして元の自然界にお返しすればよい。
樹木が密生した森になれば、表土に陽光は当らず、草の植生も変わる。
密生する以前の、多くの生物が共に生きられる環境を維持するのが協生農法。
樹木や草をどのような有用植物入れ替えるかは自由、好きなものを植えれば良い。
公園にして一般に開放してもよいのだ。
アフリカなら野生動物達の為の農園にすることも出来る。
大地に草が密生 森になる理由 2
http://ameblo.jp/muu8/entry-12211879098.html
生命の海 水がもたらす情報 1
http://ameblo.jp/muu8/entry-12046181159.html