生命が上陸する前の陸は荒涼とした大地であり、過酷な死の世界・・
それがわかっているにも関わらず、どの説も上陸の苦労を言葉で表した後に「進化」と一言で簡単にまとめ、肝心の具体的道理は見えない。
過酷な死の世界をどのようにして克服したのかが最も重要なのだが・・
あの手この手で魚が果敢に河を上ろうとする様が語られているが、川を上ろうにも流れ続ける川などはない。
上流に植物族が作る表土なくして保水・供給など出来ず、水も生命もない枯れた川をどうやって上るのか。
たとえ水が流れていたとしても行けるはずもなく、行っても食べ物もなく、数日で流れが止まればカンピンタンに干上がるだけだ。
海の生物が行けるのは、河口近くの海水が混じる水たまりくらいしかない。
植物が上陸、数千万年後に動物が上陸したのは、どちらも干潟の河口内部、気水域しか考えられない。
植物と動物が、小さいながらも河口付近の陸地に海と同じ循環を築きながら上流、内陸部へと領域を広げて行ったのだ。
広げなければ川は流れ続けることが出来ないのだから、水の生き物は内陸部に進めない。
大量に雨が降れば大地は削れて上から下に水路は出来る。
しかし、川は上から下、山から海へ流れていたのではなく、河口近くの小さな流れから水路に沿って徐々に下から上に伸びて行った。
生き物達と共に・・
川も池も湖も、水を長く留めることが出来るのは彼らの協生なくしてあり得ない。
干からびた大河の河口近くの脇から・・チョロチョロっと水が滲み出ている状況をイメージすればよい。
それがさらさら流れ続ける春の小川さんの始まりであり、海水が満ちれば小さな汽水域のはじまりだ。
小さいながらも汽水域なくして植物も動物も海水から真水への体機能の完全な転換は出来ない。
また、海と同じようなミネラル配分と「動植物の生命エネルギー」を含まない純水でも生きられない。
その条件を満たすのは汽水域しかない。
生物が陸地へ進出する前はその小川さんも汽水域もなかった。
雨に濡れる干潟と大差ないのだから。
植物と動物達が築き上げる「表土の仕組み」の重要性を指摘する説は見当たらない。
この道理がわからなければ上陸の仕組みも解けない。
解けないから言葉だけで簡単に片付けてしまう。
彼らは陸地に「海を創り上げた」のだ。
前回の続きだが、ワカメやコンブ達に・・
タコが言った「お友達」とは・・
同じように海底にへばりついて生きる「ハゼ」だった。
ハゼとは砂場や岩穴でばったり出会い、時にはタコのエサになり、時にはお友達になる。
ハゼの仲間達は沖から波打ち際まで大量に生息、時には真水の溜まる河口のやや奥までエサを求めて進出、川の水が干上がり取り残され、真水になっても再び川が流れるまで耐え抜いていた。
流れに乗って海へ下り、海のエネルギーを補給して一息ついたのだろう。
「プハ~~ 苦しかった な・・」と。
最初に上陸した魚で、見つかった化石は20㎝くらいの甲羅を持つ魚らしいが、ここでは浅瀬や干潟に生きるハゼの先祖としておこう。
サイズも似たようなもので、名前などテキトーでよい。
どのようにして陸へ這い上ったのかが重要なのだから。
河口は海水と真水が混じる汽水域、上流から来る石と砂で幾つもの洲に分かれ、水たまりも深みも出来ていた。
満ちて海水が届く深みには泥があるが、そこから上は泥も土もまったくない。
有機物が混じった泥があるから目詰まりして水が溜まるのであり、なければあっという間に地下へ染み込む。
真水の猛攻に耐えながらそこで生きていたのがアオサだった。
水底で生きる大きなアオサ、水際の岩や砂利にへばり付く背丈のないコケのようなアオサが生き抜いていた。
大きなアオサは川が流れれば海に戻され、潮が満ちればまた水たまりに運ばれる。
そうやって・・水に薄められた汽水に馴染んで行った。
何故、アオサとミドリゴケなのか・・
深い海から順に、紅藻、褐藻、緑藻と生息、それぞれ光合成がし易いい色素を持ち、浅いほど緑色の効率が良いからだ。
葉緑素は誰もが知る陸上植物の基盤となっている。
魚と同じで名前はどうでもよく、アオサが馴染み深いだろう。
ミドリゴケも・・緑色のコケの祖先だな。
タコの話を聞いて俄然やる気になったワカメとコンブと・・ホンダワラは・・
ハゼとアオサから聞き取り調査をすることになったが、河口から中へは行けない。
そこで、彼らが大雨で流されて来るまで気長に待つことにした。
ひょろ長いワカメとコンブとホンダワラは
気も長い
早く来い来い・・ハゼ・アオサ・・
無毒の海藻から有毒の植物へ 進化の理由 4
http://ameblo.jp/muu8/entry-12241803279.html
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