科学は正しい方向に向かっているのか | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

科学が正しい方向に向かっていれば必ず解決策はある

 

これは、ラジオで喋った原人の言葉であり信念だ。

 

さらに・・原人は

 

科学は現実的な問題に対して解決策をすぐに提供出来ない。

これだけの頭脳が集まっているにも関わらず、科学は目の前の困っている人達に対してまったく無力であり、学問と現実の産業、出来事とは一線を引いている

 

それを、明確に「間違いだ」と原人は指摘。

 

宇宙に生命やブラックホールを探すことは地道に研究を続けても、農業の行き詰まりと荒廃、病や不調、環境悪化など、数えきれない程の問題を科学は解決出来ない。

解決出来ないのは間違っているからであり、機械文明の問題はことごとく解決してさらなる進歩を続けているのと比べてあまりにも対照的だ。

 

生命に関しては科学はまったく歯が立たない。

原人も言うように生命とは意識と体、科学は見える成分を見て生命を見ない。

機械と違って生命の仕組みの解明に技術進歩などはなくわかればそれで終わり。この当たり前の事がやれない。

解明すれば余計なものは消滅、産業にもならないだろうが、やらなければ悲惨な現状は続く。

 

効果ではなく完全な結果の出ない対策、食育、健康法などは最初から頭に入れる必要もない。

全員に結果が出ないのは道理がないからであり、いくら言葉で飾ろうが科学的とは言えない。

 

それは生命に関係する学問すべてに当てはまり、

すべてと言うことは・・

根本から間違っている 以外に理由はなく、それを正さない限り何をやろうが主因とは関係がないのだから結果も出ない。

 

何の為の学問か、学問の為の学問になり下がってはいないのか・・原人はそんな学問などやりたくはないのだ。

 

野人もまた学問が好きでやったわけでもなく、受験や就職や他の目的の為でもない。

自分の暮らしなどどうでも良かった。 老後など考えたこともなく、エサはすべて自分で賄える。

 

現実の問題を解決する為に、困っている人達を助ける為に頭を使い、体を使い、汗も血も流して来た。

学問はその手段に過ぎない。

だから完全な結果も出ず、実際に使えない、役に立たない知識や理論は最初から頭に入れない。

 

結果が出ないから多くの人々が苦しんでいるのだ。

進む道を決めた高校生の頃から50年近くそうして生きて来た。 だから皆が持っている常識はない。

 

野人の考え方は社会に受け入れられず、理解出来る人もいなかった。

原人も同じで、原人の学者道、科学道は日本では認められず、学問の世界をさ迷い続けて来たのだろう。

原人は、学問を積み重ねたのではなく、大半を間違っていると判断して捨て去って来たのだ。

皆が盲信する科学の常識の矛盾に気付き、捨て去ることで原人の思考は磨かれた。

 

学者とは学問の為の学者なのか、学問とは自分の為のものなのか・・

社会を、暮らしをより良くする為のものではないのか。

何の為に研究を続けるのか・・

 

決めるのは自分自身だが、原人には原人の学者道があり、野人には野人だけの武士道、いや、野人道がある。

 

どの学者もやれないのなら2人でやるしかない。

困難を、苦しみを、黙って見ていることなど出来ない。

原人は水を得た魚、羽根を得た鳥のように世界を飛び回っている。

 

原人と野人は同じ志を持ち、それぞれの人間道を進もうとしている。

学者達が求める「発見」の名誉などはまったくいらず、名や財を残す目的もない。

生き物が生き物らしく暮らせることが一番だな・・

 

 

常識を崩し続ける理由

http://ameblo.jp/muu8/entry-12200558124.html

未来に向けて

http://ameblo.jp/muu8/entry-12233407244.html

 

 

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