ワカメのひらめきと提案で、コンブやヒジキ達は、それまで岩に固定するだけだった「仮根」からエサを食べられるように改造を始めた、禍根を残さないように・・
それはそう難しいことでもなく、葉の機能を根まで伸ばせば良いのだ。
そこで機能を2つにわけることにした。
光合成は必要だから葉にはその機能を残し、水分と共にエサを食べる機能を根にお引っ越しさせることにした。
重力がない海中ならふにゃふにゃで漂えるが、陸には重力がある。
葉で光合成を効率良くするには硬い軸が必要になり、さらに地上部を支える丈夫な根も必要。
それに・・カンピンタンになって、ヒラヒラしわくちゃのあの惨めな姿・・
粘膜では役に立たないだけでなく体からの水分の蒸発も防げない。
それを前提に、ワカメ達の肉体改造は干潟で進められた。
同時にこれらの必要条件を満たさなければ陸へは行けない。
生き物は 意識から始まり 意識が体を創り上げる
それが進化だ。
地球に潮の干満があったから半海半陸の広大な干潟が出来た。
干潟があったから海の生命体は陸への進出が出来た。
干潟は水中から空中へと体の仕組みを変えるトレーニングに絶好の場所だった。
干潟とは河川が運んだ土砂が河口付近の海底に堆積した広い砂泥地であり、干潮時には姿を現し、陸からの有機物を多く含み、時間帯によって陸地と海底を繰り返す。
しかし、この時代に陸に生命は住めず、保水も出来ず、有機物をまったく含まない水と砂はあっと言う間に海に流れ出る。
つまり干潟とは言っても砂の山に過ぎず、泥はすべて海の生物が堆積したものだった。
他の海岸線との違いは、たまに大量の真水が流れ出る場所と言うことだけだ。
植物の祖先の藻類は植物同様に生まれ育つ場所を選べない。
胞子が付着した場所で生きるしかなく、そこが浅瀬で干上がるならその中で生き抜くしかないのだ。
最初は生きられず幾度も命を落としただろうが、そこが海水に満たされる以上胞子の付着は絶えることはない。
そうして何代もかけて徐々に体が順応し、海がなくとも少々の乾燥にも耐えられるようになった。
生きようとする彼らの意志が体の仕組みを変えて行った。
しかし、ワカメやコンブやヒジキには行ける限界があった。
海藻の表皮と粘膜では完全防水が難しく、内部に塩分などの海水分を多少含む。
それはタコも同じで体液に海水分を含んでいる。
同じ干潟でも、真水が流れ出る河口から離れた塩分濃度の変化が少ない場所でないと生きられない。
体の構造だけでなく、体液の仕組みを変えなければワカメやコンブやタコなどは真水しかない陸へは上がれない。
こまで来て・・ワカメは挫折しかけた。
そこでまた・・ あの
タコが・・言ったのよ
「タコ・・行ったことないけど、やんごとなきエサ・・いや、河口も苦にならず縄張りにするお友達に聞いたことがあるが、アオサがそこまで行っとるぞ」
長い間干潟で干潮時には雨の洗礼を受けているうちに、さほど真水が苦にならなくなったお方がいたのだ。
しかも、同じように苦にならず平気でメシ食っとる動物もいるではないか
ワカメとコンブの目は再び・・
味噌汁のように輝きを増した
続く・・
タコ踏んじゃった タコとお野人
http://ameblo.jp/muu8/entry-11366670353.html
波の荒い外洋の砂利浜で生態系の構築は困難