先日、「人間の消化機能から見た食性」シリーズを書いたが・・
そもそも自分の食性がわからない動物などいない。
わからなくなった時点で既に食を間違えている。
「野菜が毎日多種必要 健康には不可欠」と本やテレビが言うなら、野菜とは何かを考え歴史を調べれば良い。
「野菜とは何か」を解いた学者が1人もいないから「植物の進化の理由」シリーズを書き始めた。
野菜とは植物であり、その原種は山菜だ。
今の野菜に日本原産のものは何一つない。
江戸時代も乏しく、大半は交通道路網の整った近代に世界各地から持ち込まれ、さらに改良された。
数十年前までは今のように季節に関係なく周年各種野菜を食べた日本人など1人もいない。
それだけで、数万年に渡って体を創り上げた食べ物、健康を維持する食べ物ではない事がわかる。
少量の山菜は野山に周年あるが、人々が山菜がりに励むのは短い春だけ。
食べられそうな柔らかい山菜は春に集中している。
油やアク抜き調理技術があれば食種は増えるが、なければ食用は微々たるもの。
消化も困難、主食にはなり得ず、季節のおかずにしかならない。
文明人は食欲の秋も冬も野菜に熱中するが、野山にそれらはない。
人知が無理をこじ開けたのであり、日々食べ続けた古代人は皆無だ。
歴史もなく、毒性が強く、消化も出来ない植物がどのような道理で健康に繋がるのか、言い出した人物に聞いてみたい。
何人かの学者・専門家に聞いて見たのだが・・答は
「習っていないのでわかりません」 だった。
哺乳類の祖先の海の硬骨魚類はほぼすべてと言うほど肉食。
動物、特に哺乳類は動物性蛋白質なしでは生きられない。
現代人がさほど衰弱せずに生きられるのは穀物があるからであり、消化効率、エネルギー効率は悪く、毎日大量に食べ続けることで命を繋いでいるが、消化機能を酷使し続ければ老化は進み本来の寿命はまっとう出来ない。
草食説、草食主体の雑食説を唱えるのは容易いが、野山はいくらでもあるのだからやってみればよいのだ。
具体的にどの植物を食べて生命を維持するのか、穀物なしでサバイバルしてから確証を持って唱えるべきだろう。
食糧調味料以外の近代道具も水も、いくら持ち込んでも構わないが・・食べられる野菜や穀物など何処にもなく、野山で長期間生き残れる人は1人もいない。
食用植物を知り尽くし、数えきれない程各地の山を調べて食べ尽くした野人でも植物だけで生きることは不可能。
やれば、それがいかに困難かが身に沁みてわかり、数日で衰弱して動けなくなる。
「何処でもすぐにやれるのだからやってみる」
これほど簡単な食性の見分け方はない。
雑食とするなら、やはり自力で肉を確保するしかない。
真冬は哺乳類や鳥類は豊富でも昆虫などの小動物は見かけない。
歴史を振り返ればわかるが、飢饉で穀物不足になり、どの時代も多くの人々が餓死し続けて来た。
豊かな自然林はいくらでもあるが、食べ物がないからだ。
植物が乏しい氷河期をも生き延びた人類は雑食だが、本来は肉食であり季節の果実を好む雑食。
本能も味覚も備わり、食材を頭で考える必要もない。
穀物野菜は自然界ではなくあくまで「人知の恵み」であり、多くの加工食品同様に食文化として野人は有難く味わっている。穀物が定住を可能にしたのだから。
野菜はともかく、ご飯がないと・・とっても困る。
理論は道理と実践と完全な結果が伴わなければ成立しない。
現状は健康、栄養、農業など生命に関係する理論とされるものでそれらが伴う完全な物理論は見当たらない。
実験したら効果が見られた・・というものばかり。
それゆえに・・病も解決出来ない。
流通する食品は大半が食性に合わず、食材として不完全。
いまだ原因不明の全ての病・不調の共通した原因は一つしかなく、この機能が低下したからであり、食の道理を間違えたからだ。 修正すれば治療・対策は必要ない。
間違いだらけ 食の常識 2
http://ameblo.jp/muu8/entry-12199671240.html
暮らしカル~セミナー 食性と食材性 2
http://ameblo.jp/muu8/entry-12154411959.html
まだ・・ 食えんな