生命は水の中で誕生、体内の水分量からでもわかるが水で命を繋いでいる。
陸の生き物は真水で命を繋ぐようになったが、海の記憶と機能は残っている。
最初の水は地球の元素がすべて含まれる海の水であり、真水と呼ばれる水はなかった。
地殻変動で陸が出来ると海から蒸発した水は陸に降り注いだが、保水力のない陸に長く止まれる状況ではない。
陸に進出した生き物は、やがて表土に海同様の仕組みを創り上げ、食物連鎖の仕組みを築いた。
海水に含まれるすべてのミネラル類はバランス良く表土に、海の情報を持って空から届いた真水は表土を通過することでほぼ海水と同じになり、生命維持の条件が整った。
違いは塩化ナトリウムの量だけで他は大差なく、海水ミネラルの大半を占める塩化ナトリウムはそれほど大量に生命には必要ない。
体に微量塩分を含む刺身はタコとナマコくらいだ。
川で魚貝類が生きられるのは、この海と同じ仕組みを持つ水が絶えることなく流れ続けているからだ。
だから鮎や鮭やうなぎは海と川の上流との行き来が可能になり、スズキや黒鯛やボラは数キロ上流まで餌を求めて遡上することが出来る。
空から来た水を溜めて、人間が安全に美味しく飲めるようになるまでは「表土」で濾過され必要なミネラル分を含ませることが不可欠だった。
海と違って、陸は重金属など偏った成分・生物を含む水はリスクを伴う。
皆が好み、自由に買えるミネラルウォーターは表土の産物なのだ。
土中から湧き立ての水は不純物や細菌を含まず、地表の生命のエネルギーも有している。
海も同じで表土と同じ浄化の仕組みがあり、ミネラルだけでなく生命の電気エネルギーも十分。
人は特定のミネラルと養分ばかりこだわるが、生命維持に必要なものはミネラルのバランスと生命のエネルギーであり、人間が土壌と生育に関与しない自然界の食べ物すべてに含まれる。
人類は長い間、肉や木の実と、この美味しい真水を求めて川の中流域から上流域を暮らしの場として来た。
殺菌して有機不純物を抜いた安全な水道水やペットボトルに長い間詰められたミネラルウォーターに生命エネルギーは見られない。
だから野生に近い野人は子供の頃から、水道水やミネラルウォーターに旨さを感じなかったのだろう。
成分養分中心に進められている現在の栄養・健康学、医学で解明出来ない問題もエネルギー論で簡単に解ける。
肉、野菜、果物など、同じ食べ物で成分に大差なくとも、結果で大差が出れば成分以外のものが原因。
それが電気であろうが未知のエネルギーであろうが、名称などどちらでもよいことであり、見えないものを無理に見る必要もない。
物質が電気を帯びるなら生物も電気を帯びる、元になる原子はすべて電子を帯びているのだから。
一般的な電子や水素を水に含ませる健康産業もあるが、生物の体が必要とするものは生命の電気だ。
喉が乾けば何でも水は飲むが、昔も今も飲食店で水を飲むことがほとんどなく、カレーを食べても飲まない。
同じ水分でも糖分が含まれるジュースや、脂肪分が含まれる牛乳の方がはるかに旨いと感じる。
しかしたまに飲む山の湧き水だけはがぶ飲み・・
長い間理由はわからなかったが道理を解せば納得する。
旨い水とはミネラルの含有量だけではなく、生命の含有量で決まり、必要なものが体内に入った時に体が反応するからだ。
それは飲もうが体を濡らそうが大差なく、渓流や海に浸かった時にもそれを感じる。 生命は電気質だな・・
そして必ず、体調は良くなる。
続く・・
水とエネルギーの循環
http://ameblo.jp/muu8/entry-11765605264.html