現在流通している肉、穀物、野菜、果物、茶、塩では体調を保てない、だから全員が病の予備軍になっている。
野人理論では、前記の中で人間に不可欠なものは正常な「肉と果糖」であり、他はどちらでもよいもの、バランスを考えながら野菜や魚介を摂る道理など何処にもない。
しかし食生活としては不可欠であり、バランスが正常なものならどれも体調復元に役立つ。
「効くか効かないか」、「体が反応するかしないか」など、本来の健康とも動物の本質とも関係がない。
「体の声」も野人は一度も聞いたことがないが、それは個々異なる感性であり、単位もなく計測も出来ないのだから何とも言いようがない。
野生の本能は誰よりも鋭いが、参考にはしても物理の最終判断には持ち込まない。
「こうだ」と感じても、その道理に「理」がなければ消去、あれば採用する。
わからなければその時は実践で模索するしかなく、その思考は子供の頃から身に沁みついている。
野菜もお茶も塩も「人知」が生み出した食品であり、人類史の中でどれほど摂取され遺伝子に組み込まれたか考えれば、この道理は誰でも理解出来るだろう。
だからオーガニックもマクロビも健康食品も本来の健康とは無関係と断言した。
無関係な理由は他にもあるがこれだけでも十分だ。
そもそも食性が合わないのだから、類人猿もそのようなものを摂り続けたことなどないし、食の本質とは分けて考えた方が良い。 人類は肉と果実以外のそれらを必要とせず生存して来たのだ。
野人は協生野菜もむー茶もむー塩もさほど必要としないが、それらを必要とする人が多いのも現状。
色んなものを必要とする人が多いから供給、産業として成り立っている。
本来の健康維持に必要かどうかと言うなら、必要ないものばかりで、それでは産業は栄えない。
野生動物達がそうであるように質素な暮らしになってしまう。
質素で単調な食生活ではつまらないし楽しくもない。
人は豊かさ、便利さ、遊び心、嗜好を求めるから産業が栄える。
「一時的ではない人間本来の健康」を取り戻したいのなら、当たり前のことだが「本来の健康」とは何かを考えれば良い。
人間は何を食べて生きて来たのか・・
健康だから生き延びて来たのであり、「本来」にまで遡れば良い。 野菜穀物でないことは間違いない。
数百万年前の類人猿まで遡ってもよいのだが、この問題はそこまで行かずともよい。
現代人はホモ・サピエンスと名付けられて数万年、近代数百年の食生活は除外して考えるべきだろう。
農業と産業と学問の発展がそれまでの食生活を大きく変えてしまったからだ。
農業の進歩は餓死を減らしたが病や不調を増やした。
医学の進歩は寿命を伸ばしたが病や不調は治せない。
だから、あれがいい、これが足りない、それが悪いと、限りなき創意工夫が続いた。
さらに、誰もが病にかかることを前提に、かかる前から・・防止法、健康法が常識になりつつある。
そこに「立派なヒント」があるではないか。
これだけ やっても・・
心身が病む人は 間違いなく激増しているのだ。
健康とは病や不調もなく寿命をまっとうすること。
間違いと修正を繰り返す人間の戯言に付き合うよりも自らの頭で「本来」とは何かを考えるべきだろうな・・
病を治そうとする思考の盲点
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生きることは判断であり物理
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思考の盲点 野菜と健康4終回
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