「一寸の虫にも五分の魂」と言うことわざがある。
弱い者にもそれなりの意志があり軽く見てはいけない・・と言う意味だが、あくまで虫に例えた人間用語であり虫の為に生まれた言葉ではない。
一寸は3㎝、五分はその半分、わずか3㎝の虫にも何かをやり遂げようとする意志は必ずあるはず、魂と言う言葉も、この世に生命を受けたものは必ず持ち合わせているという「人の思い」から生まれ、いまだ仮説の範囲を出ない。
心、意志、意識、感情、精神、魂、状況によって用い方は異なるが、同じようなもの。
司令塔である意志がなければ生き物は動けないのが道理であり、生き物に意志がないと思っている人もいないだろう。
怖ければ逃げるし、楽しければ踊り、痛ければ悲鳴を上げる。
声が出せなければ心の悲鳴、おとなしい生き物も生きる為に反撃もする。
これらは偶然でもなく、その存在場所と構造が証明されないから生物科学物理界は何とも言いようがないのだ。
存在「しない」と言えば違和感があり冷たく思われ、「する」と言い切れば「意識」の証明が必要、何とも不自由なものだが、その境界は自ら作ったものだから仕方ないだろう。
頭や胸を高度な顕微鏡で見てもまったく見えず、医学も心の物理的仕組みがわからないのだから手のつけようがない。
犬や猫などのペットだけでなく虫にも心があり、個々の能力は異なっても「明確な意志を有する心」に変りはない。
それぞれの種ではこうなっている・・と言う行動の観察結果はあっても、何故そうなっているのかはまったく解明されていない。
ハチやアリなど、仲間同士コミュニケーションがとれている種がそうであるように、虫達は明らかに意志疎通の手段をもっている。
人間のような言葉はないが、はっきりした意志の疎通なくして高度な構造を持つハチの巣やアリ塚は出来ない。
群れない単独行動のクモの巣も同じで、あの素晴らしい構造を持つ巣が偶然出来るはずもなく、考えながら正確に作り、壊れても一晩で補修する。
優れた思考回路を持つ人間でさえ出来ない糸使いと巣作り、優秀な思考回路と技術を持っていないと言うほうがおかしいではないか。
言葉で片付けるなら
「クモはそれが当たり前」・・となるが。
その道理が理解出来れば、虫の見方も付き合い方も少しは変わるだろう。
科学は電波を音声や映像に変えて意志疎通出来るようになったがそれと同じようなもの、テレパシーや第六感、虫の知らせなどもその類だ。
哺乳類、鳥類、昆虫だけでなく植物も含めたすべての生命体はその術を持っている。
続く・・
生命の仕組みのお話1
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生命の仕組みのお話3
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生命の仕組みのお話4
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