思考の起点を教えようとすれば、思考の基盤を一から覆して教えなければならない。
思いは思い、理は理と割り切れれば問題ないのだが、原人以外そのような人に出会ったことがない。
だから道理を間違えればいくらでも原人には「バカタレ!」と言える。
理を解せる直弟子だから言えることであり、普通の人なら傷つくだろう。
心が傷めばお特訓どころではなく何も頭には入らない。
脳の指揮官である心がそこに向かわないのだから集中力もなくなる。
心理と言う言葉があるように心と理が一体になったのが人間であり、強引にやろうとすれば生木を裂くようなものだ。
体の指揮元である心の共通した構造、伝達の仕組みに理はあっても中身は理ではない。
その人だけの大切なものなのだ。
いくら野蛮な野人でもそこまでは土足で踏み込めない。踏み込めば誤解、トラブルの元だ。
野人理論は、本人が強く望み、自らの思いと考え方を捨て、変えるべく思考の起点「最初の1」に集中しなければ到底理解出来ない。
最初の1が既に確定している人は理解が困難、教える方にとっては巨大な壁となる。
自らの思いが思考の起点、道理、常識であり、そこには何ら疑いを持たない。
前向き思考で、自分はこう思う、こうするという意志が非常に強い。
逆に自信、確信が持てない人は前例や書籍や常識、一般論と比較する傾向にある。
野人理論は初めから非常識であり、比較は常識や現学問ではなく自然界、そのような参考文献も最初からない、つまり前例がない理論。
前例がなければ前例を前提とする今の社会では難解であり、前例と自らの思考パターンを前提にしなければこれほど簡単な道理はない。
そもそも、前例と自らの思考の結果が上手くいかないから学びに来るのだ。
そこで前例、一般論と自らの思いを出せば先へは進めない。
それらとの比較は講義が終わった後でゆっくりやればよい。
疑問、質問は、徹底して未知の理論に集中させたほうが理解ははるかに早くなる。
続く・・
護身術の真髄2 思考の起点
http://ameblo.jp/muu8/entry-10802015065.html
護身術の真髄3 共通点
http://ameblo.jp/muu8/entry-10803493267.html
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