自然、循環、健康、野菜などと同様に、生涯を通して使いこなすものとして、この護身術の道理も暮らしに役立ててもらいたいと願っている。
天災はともかく、事故や病気は成るべくして成った結果で未然に防げるものが多い。
通院や薬剤などは結果の修復のようなもので護身術ではない。
本能で予知出来れば問題ないのだが、文明と引き換えに人間の本能は衰退してしまった。
しかしそれらの大半は予知出来るものだ。
本能や閃きや感性は別にして、予知の字の如く「知」をもって事前に知ることが出来るのだ。
知から導かれる道理は理とも言い、理であれば数式のように答えが出る。
しかしこれには条件があり、それが整わないと理も成り立たない。
重要なことは「目的と思考の起点」であり、起点の字は基点でも構わない。
起点とは前に航法を例にとって書いたが、現在地のことであり、そこから思考を開始する点のことだ。
これがしっかりしていれば例え間違っても大きく脇道に逸れることはない。
それが野人の50年以上にわたる実体験、失敗と怪我と苦悩から出た答えなのだ。
はっきりとした目的を持った狩り、仕事、スポーツなど何にでも当てはまる。
生きる為の狩りであろうが、人間社会の仕組みであろうが何ら変わりなく、自然界も自然界で暮らす人間社会も理においては変わらない。
起点とはあくまで思考の始まりであり、そこから先は個人の能力次第、野人の及ぶところではない。
目的は難しくはないが、難しいのはそれを常に柱に据え続けることだ。
失敗の大半は起点を誤ることであり、いくら思考努力、年数を重ねようがいつの間にか目的から遠ざかり、失敗の元にもなる。
護身術にとってこの「思考の起点」が最も重要だと言い切れる。
続く・・