わかり切ったことに関心を示す人はほとんどいない。
完結した道理は思考の終点、毎日のように自ら体感していればなおさらだろう。 常識以前の問題だから誰も目を向けず、疑問も湧かない。
食の本質を、食性、食材性など色んな切り口から説いて来たが、食べるという行為は「腹が減る」ことから始まり、腹が減らなければ食べられない。
食は、この「腹減った」という空腹信号から始まる。
体調不良、病を解決するには、対処手段よりも、「何故腹が減るのか」・・から思考を進めるのが理解の最も近道だ
何故空腹信号が出るのか、言葉では「食べもの求めている」なのだが、食べものの中の何を求めているのかが重要だ。
常識では栄養分、ビタミン、ミネラル・・などだが、それが正しいならこのような問題は起きない。
何十年間も実践しているにも関わらず結果が出ないのだから、それらは間違っていると早々に見切りをつけたほうがいい。
人間の道理はペットや野菜にも及び、同じような対策に追われている。
野生動物達の単調な食事もそれを示し、「バランス良く」・・などは不可能に近い。
それぞれが目の前にある食材を本能で食べている。
「栄養価に乏しい」と言われる食材がたった一種でも、立派に数十年間生き抜いている哺乳類も多い。
これらの現状からも栄養分は関係ないと言える。
食べ物でもある有機を成分で見れば成分しか見えず、他に見当たらないからそう決めたのだろうが、そもそも・・
、
成分を見て知って食べる生き物などいない
いないと言うことは、見ることも知ることも
「必要ない」と言うことではないのか。
生きる為に食べ物の何が必要なのか、それを「知る」ことも本来は必要ないということだ。
「見える部分に答がない」から「見えない部分にある」と言うことになるが、見えないのだから人知をもってしてもわかるはずもない。
見えない粒子が存在しないなら、電気粒子も存在しない。
野人の万里眼と虫めがねをもってしても見えないのだから、適当に「生命力」にした。
見えようが見えまいが、生命なら必ず持っている「意識」のことだ。
本来は見る必要も知る必要もないことを、言葉に苦心しながらこうして書いているのは・・きっと・・ヒマなんだろうな
続く・・
ダイエットの盲点 食の歴史2
http://ameblo.jp/muu8/entry-11535744634.html
生命力の仕組みのお話3