むータニック号を動かす マムシ兄
この夏は東シナ海流ヤマハ時代の元部下が多忙な野人に代わり時々船長業務を代行してくれている。
本業は船の回航業で自営、通常ギャラは破格なのだが、貧乏な野人の為に日程が空いていれば近くからいつでも安ギャラで来てくれる。
先日の記事の「遊漁船業務主任」の資格もあり、むータニック号の船長登録もしている。
元は機関長だったから機関整備やオイル・フィルター交換などもお手のもの、釣りの技術もポイントも熟知、接客も慣れているから重宝する。
若き日の面影はなく、前頭部はめっきり毛がリストラされてしまったが、毛な気にも「脱シャンプー」を続けているが再生のメドは立っていない。
一つ下の弟も元部下でマリンビレッジにも数年在籍、むータニック号の船長もしていたから兄弟船だな。
今も時々やって来るが、海員学校出たての彼らが10代の頃、共に野人が操船から潜水、根性まで時には張り倒して鍛え上げたが、弟の運動神経は十数人の船員達の中では群を抜いていた。
出航か欠航か、どんな荒天でも野人が出航と決めると迷わず従ったのがこの2人だ。
鈍いのかアホなのか、屋久島の漁師も腰が引ける波高4mの荒れた海も怯まず突っ込むぼっけもんで、2人とも連載「東シナ海流」後篇にこれから登場する野人と生死を共にした仲間だ。
弟は8月の記事「医療の矛盾と限界」の画像にも真っ先に登場している。
この弟も兄同様に毛がリストラされつつあるが、シャンプーどうするか迷っている。
兄弟は種子島出身で既に50代、野人は35年間マムシの兄弟と呼んでいる。
兄は野人の転勤で屋久島から一緒に船を回航して三重へ、弟はトカラ列島で漁師をしていたが20代後半に野人に呼ばれて三重へ、兄弟そのままこの地に住み着いた。
両親も呼び寄せ種子島の実家は無人、農地も放任状態になっている。
マムシ兄弟と違って、毎日欠かさずブログを読む熱心な読者で、種子島からやって来た助っ人も8月初旬から味噌樽で暮らし、何度か海へ連れて行った。
島で自給自足しながら細々と農作業手伝いなどのフリーターをやっていたが、人手が足りない野人の依頼を快く引き受け、9月末まで塩作りを中心に手伝ってくれる。
野人はサトウキビ、バナナ農園の件もあり、今年こそ秋から春の間に種子島へ行くつもりだ。
彼には彼の生き方があり、希望に沿う暮らしが出来るようにしてあげたい。
一昨年の10月、ビレッジ滞在中に偶然この兄弟と顔を合わせ、今回もまた兄弟と話をしていた。
時間があれば昼も夜も「酒」と決まっているマムシの兄弟はブログは見ないし、本を読む姿も35年間一度も見たことがないほど勉強嫌い、だから野人本も与えていない。
今種子島と・・元種子島
マリンビレッジは種子島と縁が深いな・・・
医療の矛盾と限界
http://ameblo.jp/muu8/entry-11596513979.html
古い仲間達と晩餐 1
http://ameblo.jp/muu8/entry-11063736298.html
古い仲間達と晩餐 2 ぼっけもん・・
http://ameblo.jp/muu8/entry-11064239814.html
種子島からやって来た男
http://ameblo.jp/muu8/entry-11074000498.html
http://ameblo.jp/muu8/entry-11279218809.html
マムシ弟から 先ほど電話あり
あれから 洗剤止めたら 靴下が・・
臭わなくなったらしい
野人は言った
「そのうち毛も生えてくる」