マクロビオティックの盲点3 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

農業における食糧の安定供給が集落を生み現在の繁栄をもたらしたことは言うまでもないが、人の食の本質の上では農産物は除外して考えるべきだろう。

玄米にせよ野菜にせよ今の形では元々存在しなかったもの。

理に合わない食事で、何故人が病むことなく寿命を全う出来るのかその明確な道理を聞きたいのだが、あるのは成分や効能だけで、それですべての健康問題が解決したとも聞かないしするはずもない。

今の成分効能志向が現在の悲惨な現状を招いたと書き続けて来た。

マクロビ理念の具体的実践法は食材の豊富な近代国家しか成り立たず結果も出ない。

答えが簡単に出るなら疑問に感じないだろうし野人にも聞いて来ない。


地球に生を得たものは極寒の地だろうが灼熱の乾燥地域だろうが、貧しい国も富める国もその地の素朴な食材だけで平等に健康でいられるはずなのだ。

それが人間であり、太古から地球全域で暮らしを営んで来た。

何故それが可能だったのか、余計なものを消去して道理を組み立てれば答えは出る。

この記事の初めに読者がコメントしたように、色んなものに労力とお金を注ぐのは贅沢とも言えるだろうが、方向を見失ったプラス思考とも言える、原点に戻って一考願いたい。

事態が深刻ならそれもやむを得ないだろうが、結果を出す為には必要な思考なのだ。

 


玄米や米や麦、肉や野菜、現在の主食副食すべてが完全ではなく、少しでも本来の食材が摂れていれば他は何を食べようが動物の体は調整出来るようになっている。 

地球上の生き物は皆そうして生き延び、それからすれば食料を独占する文明国は異常だろう。

食材の種類は単純でも一向に構わない、本来の生命力を有し細胞内のバランスがとれていればよいが、それがないから生命の仕組みが狂う、それがあらゆる病だ。

栄養成分ではなく生命力のある本来の食べ物が体に入らない限り空腹信号は続く。

人間は数週間食べなくても体力は持つように出来ているし、そうでなければエサがとれずにとっくの昔に絶滅している。

植物は人間本来の食ではなく短い季節のものであり、特に木の実は重要な役割も果たすもの、しかし主食には成りえないものだった。

子供の頃から20年に及ぶ海山川での狩猟採取体験、さらに本格的に植物学を学び国内の山菜、薬草、有用植物を知り尽くし、食べ尽くした20数年間から出した答えだ。

人は何を食べて生きて来たのか、自らの体を実験台にして毒草もアクの強い野草も味を確かめたのだ。

改良された現在の野菜穀物などは人類の食の本質とは関係ないから最初から除外している。

 

植物の物理的な仕組みを、その歴史を学べば理解出来るが、植物学は物理として捉えられず、高校の生物も同様で、詳しく解いた本はないからこうして野人が書き残している。

農業関係やオーガニックもそうだが、マクロビ関係で植物に精通した人も知らない。

大地と植物を相手にしているのなら言葉ではなくそれらの物理的な仕組みを知ることは当たり前のことだと思うのだが・・

何を相手に何を作っているのか・・自然の道理、人類の歴史と食の本質、健康の仕組みを知らずして理念の実践理論などおぼつかない。

自然の恵みを丸ごといただこうとするなら、いただく前に自然とは何か「言葉ではなく物理」を徹底して学んだ方がいい、そうでないと「恵み」が何かも理解出来ない。

それは植物でも動物でも魚介でも同じ。

「学ぶ」とは読んで知識を身につけることではなく自ら判断出来るようになることだ。

何度読もうが聞こうが覚えようが、そのようなことは判断の役には立たない。

健康を求めるなら、健康が維持出来る物理的な仕組みを知らずして目的は果たせない。

マクロビ理念に使われる言葉も、実際やっていることも物理なのだ。

自由な解釈と思いで理念を実践すれば矛盾が生じるのは当然だろう。


続く・・



当たり前の食べ物とは 1 (1~6)

http://ameblo.jp/muu8/entry-11040549540.html