マクロビオティックの盲点2 | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

マクロビオティックの理念については何の異存もない。

直訳すれば「大きな生命学」になり、自然と調和をとりながら健康な暮らしを実現する考え方だ。

旬の自然の恵みを丸ごといただくと言う原則についても同じでむしろ賛成する。

人間は、動物であろうが穀物、野菜であろうが食べられるものなら何を食べようが生きて行ける雑食性に進化した。

野人の言う「盲点」とは理念や定義ではなく、実践において目的に合った道理なのか、それで答えが出るかだ。

心の在り方には触れないが、自然界における現実の因果はすべて地球物理。

成るべくして成り道理は明確、理が合えば○でありそうでなければ×しかない。

自然界から生まれた数学物理に曖昧な△がないように自然界にそれはない。

生命、健康に関してわかっていないから理のない自由な学説や商品が出回る。

野人の元へ来る問い合わせはマクロビの理念や定義ではなく、「玄米菜食をどう考えますか?」だ。

ブログを始めた頃、本を読まない野人はマクロビが何であるのかまったく知らなかった。

相談して来る人達はこれから始めようとするか、既に実践しているか、どちらも野人の道理を聞きたい人ばかり。

好きで食べるのなら問題はないが、「健康になりたいから」と言う明確な目的を持っている。

目的が果たせるかどうか、理に適っているかどうか答えを出すならまったく逆で理に適わず、むしろ体の負担になるとしか答えようがない。

聞かれればはっきりとそう答えているし隠すことでもないからあらためて記事にした。

種丸ごとはすべての動物に消化されるように出来てはいないからそれだけでも本来は必要ない食材。

まして、ミネラルが豊富だとか便通が良いからと食べて、肉食の腸を持つ人間が毎日大量の酵素を出して消化出来ないものに余計なエネルギーを費やすのはまったく食の道理に合わない。

猿や猪だって実は殻を剥いて食べようとする。

玄米はどうしても食べたい時に完全な液状粥にして年に数回は食べている。


人間は本来肉食であり、それだけでは生存が困難だから雑食に進化した道理は書き記したが、そもそも命を繋げるほどの穀物や野菜などはなかった。

穀物や野菜は近年になって人間の知恵から生まれたひとつの食文化だ。

大陸から米が伝わりわずか数千年、野菜に至っては奈良時代から徐々に伝わり、日本古来の野菜などフキやワラビくらいしかない。

生野菜丸ごとどころかそれらは食卓を飾るほどのものでもないだろう。

人類数百万年の歴史から見れば果物は別にして野菜穀物は「食の本質」とは何ら関係がない。

普及期間も微々たるものだが、木の実以外の菜食は本質本能とは別の人知が生み出したものなのだ。


続く・・



子供が野菜を嫌う理由  全20編

http://ameblo.jp/muu8/theme-10032154980.html


消化出来ない玄米 胃炎・・?
http://ameblo.jp/naomin-rose/entry-11127744146.html