当たり前の視点で確かめたフランスの原人が言って来たように、不完全な食べ物はいくら食べても食欲は治まらない。
完全なものなら少量でも単品種でも満足出来る。
これは、動物は食べ物に「養分」だけでなく「生命」を求めていると言うことなのだ。
種類はたくさんあったほうが食卓は楽しいが、健康の為に多品種をバランスよく食べる必要など何処にもないし、カロリー計算や、脂肪やコレステロール制限など努力する必要もない。
それらは、「現状がこうだから仕方ない」を前提に生まれた「対策」であって、「現状がそうでない」なら生まれなかったものだ。
野人理論は、「本来はそうでない」が当たり前で、思考はそこから始まる。
何が原因か、何処がおかしいのか、道理を追えばストレートに答えに行き着く。
世界共通の原因などそう幾つもないからだ。
それに、原因がわからんのにいきなり対策に脳ミソと体力を使うほどヒマではない。
地球のすべての生命は今が完全であり、完全な生命は完全な生命を摂らなければ維持出来ないと言う単純な道理なのだ。
生命の総力を生命力と呼ぶなら、それが正常に機能していないから病や体調異常を招く。
ガンなどの細胞異常や代謝センサーなどの不調で、メタボもその兆候だ。
人間の食の定義は様々、成分が大事で、生きていれば生命力の程度は問わないようだ。
だから「自然 天然」の定義も各自あやふや、野生植物も養殖野菜も同じように扱うのだ。
肉も卵も塩も同じ、人間の道理で養殖、作られ、今ではすっかり悪者にされてしまった。
道理を追って考えれば簡単だが、人が関与しない自然界の食べ物は完全、だから他の動物は人間のような病にかからない。
食品の何処が違うか道理を追えば簡単にわかるし、わからなければそっくり真似してみれば結果は出る。
足りないのは成分ではなく完全な生命であり、心身共に病の原因はそれしかない。
それはリンゴだけでも、パンダのように笹だけでもかまわんのだよ・・・
クジラだってオキアミさえあれば十分満足、長寿を全うしている。
それが・・・地球では当たり前ではないか。
頭でっかちに進化した人類は、常識を思考の起点にして自然界から学ぶ謙虚な姿勢が足りない。・・・「喝~!」・・だ。
知性と痴性は紙一重、時には野人のようにおバカにならなければ見えるものも見えない。
小学生から・・「あっぱれ~!」と呼ばれるような大人に皆でなろうね。
常識を無理強いして本能の芽を摘まなければすぐに・・そう呼ばれる。
食の本質1 理と利
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食の本質2 命あるもの
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食の本質3 生命力とは
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生食は人間本来の食1
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生食は人間本来の食2
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生食は人間本来の食3
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おフランスからの原人メール
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