病名、箇所、症状に関わらず今の食材を前提にする限り病気は防げない。
それは現代の食生活では、最も大切なものが補われずに欠如しているからだ。
自然界の動物は何の問題もないのだから、そこから考えれば問題のない時代は古代であり、耕起、肥料が前提の農業の始まるそれ以前だろう。
完全を求めるなら「火を使う前」の食生活と言うことになる。
これほどの食材が周年手に入る時代はない。
野菜や果物は季節感なくいつでも手に入るようになった。
家庭菜園も盛んになりホームセンターは商売繁盛、無農薬、オーガニックブームも到来した。
「通常では摂る事の出来ない」と言ううたい文句の健康食品もメディアを賑わせている。
栄養管理、ダイエット、カロリー計算など、「熱中時代」に入ったが、症状は下火になるどころかますます勢いを増して深刻になって来た。
そうなった原因ははっきりしている。
「栄養分」「抽出成分」「効能」に固執したことが道を誤った最大の原因だ。
栄養に始まり、ビタミン、ミネラルと重視成分が移り変わる思考は昭和初期以来何ら変わっていない。
戦後、塩に純度を求め徹底排除された「にがり」は、ミネラルと名を変え、再び塩化ナトリウムに「出来るだけ」戻された。
精白糖もまた敬遠する人が増え、黒糖の需要が伸びて来た。
薬と言う字に草冠が付くのは、その多くは草から抽出された成分だからで、薬で健康になれないのと同様に、「独自の抽出」の健康食品も同じことが言える。
人は同じ道理を身の回りの動物、ペット、野菜、果樹、庭木にも用いた。
ここまで徹底してやれば使ったエネルギーも相当だが、結果も相当なはず。
30年前と比べてどうなったかは野人が言うまでもないだろう。
激減するどころか聞いたこともないような病名が激増、さらに原因不明の病名が増えそうな勢いで、いたちごっこの様相を呈してきた。
それでも人は同じ成分養分思考で抽出を繰り返すのだろうか。
通常では摂る事の出来ない成分なら本来は不要、健康とは関係ないはずだ。
自然食品と言うが、自然界にはそのようなものは単独で存在しない。
何処に理があり、誰が利を得るのか考え直した方が良い。
どの生き物よりも高度な知恵を持った人類は、その知恵の使い方を間違え、知恵によって自らを滅ぼそうとしているようなものだ。
食生活だけでなく、世界的に深刻な他の問題も同じことが言える。
やる前から順に「理」を追って行けばこうなることは簡単にわかることなのだが、「利」を追うから「理」が消滅してしまうのだ。
コマーシャルの利に付き合わず、自ら判断出来る理を身につけてもらいたいと野人はこのブログを始めた。
タイトルに書いているが
森羅万象から見つめた食の本質について説き続けるつもりだ。
ミネラルとは何だ
http://ameblo.jp/muu8/entry-10269415195.html
食材の常識が身を削る
http://ameblo.jp/muu8/entry-10242231962.html
自然治癒力が発揮される条件
http://ameblo.jp/muu8/entry-10221576187.html