カビだらけの水中撮影機材1 | 野人エッセイす

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カビだらけ・・・
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野人は元々潜水士、つまりプロダイバーだったが水中作業だけでなく水中撮影もやっていた。

スポーツ潜水のように複数で潜る事は滅多になく昼も夜も常に単独潜水だ。

大型サメの豊富なトカラ列島の秘境、川のように流れる海域、海底活火山の熱い噴火口、東シナ海では遺体捜索も何度か借り出された。

5~6人で計画的に潜ったこの遺体捜索と火山以外はすべて1人だ。

ダムの底やマンホール、狭く真っ暗な貯水タンクの中へと潜り修理作業もやった。

そもそも海中作業技術を持つ海洋学者を目指して大学を選んだのだ。

船舶設計を専攻したのは「小型潜航艇」を作り、財宝の引き揚げに使おうと言う不純な動機の為だった・・?

祖父の実家は網元、素潜り漁は小学生の頃から覚え、高校生の時には既に20mまで潜り肺活量は6千を超えた。

体力は人並み外れていたが、根っからの運動嫌いで、捕食活動以外の体力消耗は関心もなく、本能も拒否していた。

スキューバを始める人のほとんどが綺麗な海での海中散歩が目的だろうが、そうしたいと思ったことはない。

海水浴を楽しむ、泳ぎに行くと言う感覚も持ったことはなく、泳ぎや潜水は「手段」に過ぎず、中学、高校の時は真冬以外裸で潜り漁労で稼いでいた。

言い換えれば潜水を始めた小学生の頃から目的と手段が明確だった。


海洋学部の海洋探検部は50人以上いたが、全員スポーツダイバーではなくプロの潜水士を目指していた。

国家資格ではない任意団体のライセンスなら数日でとれるのだが、目的が異なるからそれを望む人は1人もいなかった、つまり使い道がないのだ。

当時の労働省発行の「潜水士」の教本を中心に、ヘルメット潜水、潜水医学やコンプレッサーなど器材の取扱いを勉強、試験や陸上トレーニングに励み、プールでの基礎練習まで2カ月を要した。

野人の心肺機能と水中速力は入部時から群を抜き、素潜りで50mプールを軽く折り返した。

4月から始め、6月からプール、後半から伊豆の真鶴で海洋練習を始めた。

しかし、1年生の夏に事件を起こして部をクビになってしまった、残念~ハートブレイク

その後は手持無沙汰でヒマだったから・・

「勝負じゃ!」・・と空手部に押しかけうっぷんを晴らし、卒業まで自由出勤で好き勝手やった。


続く・・



人生を変えた一冊の本

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海底二万マイルとジャック・イブ・クストー

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