俳優の竹脇無我さんが亡くなられた。
25年以上前になるが野人は竹脇さんとは縁があった。
ヤマハの鳥羽国際ホテルで大型クルーザーの船長をしていた時のことだ。
竹脇さんはボートが好きで、この船をチャーターして一緒に釣りをやった。
運転したいと言うので操船も教えた。
当時、国産の大型クルーザーはなく、ヤマハもまだ小型艇しか作っていなかった。
この船は当時ヤマハ社長だった故川上源一がヤマハの粋を集めて作らせた特需艇だった。
所有は会社ではなく、川上社団、つまり社長の所有だったがヤマハリゾートが借り受けていた。
総トン数20トン、17m、エンジンはスェーデン製「シェーバー」2機、電子航海機器フル装備、内装はチーク材、最高速力は24ノット、価格は35年前の製造時で自社製であっても億は超えていた。
設計者は今も友人でよく伊勢に来る。
処女航海で東シナ海に来た時、諏訪の瀬島勤務で24歳だった野人はこの船を沈没から救った縁がある。
硫黄島、屋久島、八重山の小浜島勤務を経て、4年後に屋久島から三重まで船長として4人のクルーと共にこの船を回航した。
船の名は川上社長がつけた「諏訪の瀬丸」。
鳥羽国際ホテルは鮮やかなアイボリーカラーの諏訪の瀬丸を「海の貴公子」としてお客様に優雅な遊びを提供。
三笠宮殿下夫妻は2度、スウェーデンのシルビア王妃、劇団四季の浅利慶太さんはキャッツのメンバーを引き連れ4度、他に池部良さん、森光子さん、各国大使、財界人、芸能人など多くの人に利用していただいた。
唯一、山羊の屁のようなホーンの音色が気に入らない野人は、汽笛を自作の「ホラ貝」に変え、出航時に客に披露して喜ばせた。
海の貴公子を操船する山の貴公子としては当然のことだ。
竹脇さんとはそれから三浦半島のシ―ボニアマリーナでばったり会ったことがある。
竹脇さんは故森繁久弥さんと親しく、森繁さんが経営する佐島マリーナも近かった。
森繁さんとは話したことはないが、亡くなった長男の森繁泉さんとは硫黄島で交流があり、三重にも野人を訪ねて来たことがある。
彼らと交流のあった加山雄三さんの、歌にも出て来る初代「光進丸」も、加山さんの同級生だった先代赤福社長に頼まれて数ヶ月間預かった。
赤福社長もまた野人が支配人を務めるヤマハのマリーナの会員で大の船好き。
この会社の株主で取締役でもある顧問税理士は「葉山マリーナ」で最大の船を昨年まで保有、十数年前から毎年三重まで船で来て数日間滞在、野人が魚釣りの世話をしていたのだが、それが縁でこの会社に関わることになった。
すべて海で繋がっている。
竹脇さんの御冥福をお祈りいたします。
東シナ海を疾走する諏訪瀬丸
ホテルロビーに飾ってあった長さ1mのパネル
シルビア王妃をエスコート
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劇団四季浅利慶太さんの粋な遊び
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トカラ列島 諏訪瀬丸処女航海の苦悶
東シナ海流28 真夜中の嵐 朝まで死闘
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東シナ海流29 錨と共に暗闇の海底へ沈む
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東シナ海流30 過酷な海上サバイバル
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東シナ海流61 夜の遭難 口永良部島
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