第五福龍丸とマリンビレッジ | 野人エッセイす

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第五福龍丸と言う1959年の白黒映画を観た。

出演は寺尾聡の父「宇野重吉」、乙羽信子などで、マグロ漁船第五福龍丸はマーシャル諸島のビキニ環礁で、アメリカの水爆実験に遭遇、被爆した。

他にも操業中の数百隻の漁船、2万人が被ばくしたと言われている。


この第五福龍丸とゴーリキマリンビレッジは関わりがある。

ヤフーのウキペディアで「第五福龍丸」を検索すればわかるが、

福龍丸は和歌山でカツオ漁船として建造され、その後、焼津市でマグロ漁船に改造、被爆後は当時の文部省が船を買い上げ、放射能除去後に伊勢市の「強力造船所」で改造され、東京水産大学の練習船はやぶさ丸となった。

今は東京都の夢の島公園の「第五福龍丸展示館」に保存されている。

野人の経営するゴーリキマリンビレッジはその強力造船所の跡地にある。

地主は造船所を休眠会社にして「株式会社ゴーリキ」として木材ラックを製造している強力社長で、野人の大学、船舶設計の先輩に当たる。

獲って食う知恵しかないと思っている人も多いだろうが、野人の専門は創造と緻密な「設計」だったんだよ・・・

設計転じて調査ダイバーとなり、船乗りになり、今は漁師のようなもんだ。

彼は今も先代と先々代が手掛けた第五福龍丸に特別な思いを持っている。

造船業界は廃れてしまったが、船への思いが捨てきれず、1万坪の跡地のマリンビレッジとしての活用を野人に依頼、ゴーリキマリンビレッジの名称も彼のたっての願いだった。

名に何のこだわりもない野人は、「いいよ・・」の一言で採用した。

強力姓は鳥羽市に多く、九鬼水軍の末裔なのだろう。

九鬼水軍の頭領「九鬼嘉隆」は信長の命を受け、火矢を跳ね返す鉄板の「装甲船」を建造した。

それが伊勢市の大湊であり、信長の母船「日本丸」が建造された地でもある。

時折、史跡としてマリンビレッジにも人が訪ねて来るのだが、資料は何も残っていない。


九鬼・・
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水没軍の・・
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・・  ・・・ 平和の象徴
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キス釣りと天ぷら船 日本晴れ丸!



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九鬼 むー隆
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