自然界の状況に応じて完全な答えを出す知恵を野人は植物から学ぼうとしている。
温故知新、古きを温め新しきを知ると言う言葉があるが、歴史が好きな野人は、人間の歴史からは「失敗」「敗因」「修正」を学び続けた。
成功例ばかり視察する議員が多いが、負の遺産は何故生まれるのか考え直した方が良い。
何十年も歴史読本、史書を読み漁り、自然界の仕組みを身をもって知り、孫子ではなく「野人の兵法」は完成、もうこれ以上本から学ぶべきことはないのだ。
最初は本能、次は生き延びる為、この数十年は自分の為ではない。
森羅万象の基本的な仕組み、それを社会に活かす為に学んでいる。
だから細かく考古学まで及ぶことはなく、人間の主な「失敗」の道理が理解出来れば終わりだ。
年代や人名や地名などはたいして重要なことではなく、ほとんど記憶にはない。
生物植物、海洋学や他の分野もすべて同じだが、歴史も出来事を覚えるものではなく物理の視点から捉え兵法に活かしている。
何とか世の中に役立てようと懸命に学んでいる人も多いだろう。
人として生まれてくれば当然であり、たとえささやかなことでもその重さに変りはない。
明確な目的もなく学ぶことなど子供の頃からまったく持ち合わせていなかった。
「学びの為の学び」は心の満足であり自由なものだが、終わりもなく何も生まれることはない。
世の中が間違っていなければ、これ以上学ぶこともなく新たな理論の創造も必要なかった。
畑もやらず優雅にさかな釣りに励んでいたことだろう。
無精者の野人は昔から真面目でも勤勉でもなく、どちらかと言うと不良に近い。
親教師への反抗、国家権力へのインネン、何度か検挙もされ罪にも服した。
「出来ることならやりたくない人間」の部類に入る。
木枯らし紋次郎は「あっしには関わりのないことでござんす」が口癖だったが、関わりあるどころか、今は身の回りだけでなく世界中の人が苦しんでいる。
野人はその主因を徹底して究明、主観ではなく道理からはっきりした答えを出した。
それは世界の常識を覆し大きな痛みを伴うものだった。
やりたくはないが、誰もやらないなら自らやるしかないではないか。
それが「共に地球に生きる」と言う野人哲学。
この時計草もそうだが、これまでの人生で大事な道理を最も多く学んだのは植物からであることに変わりない。
植物好きも研究者も多いのだが、植物から物理の「理」を学ぼうとする人はいない。
自然界の道理は、人間ではなく自然界から学ぶのが理に適っている。
命の仕組みを知る思考の基点は地球の歴史、植物の歴史の中にあり、命を作れない人間の科学ではなく、専門書から総合的、立体的に生命を捉えた理論が生まれることはない。
地球の生命の仕組みは植物が創造、間違いもなく今も生命の頂点に君臨、すべての生命を育んでいる。
野人流学問のススメ
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学問のススメ 人間とは
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男は 愛嬌・・じゃ 読経はいい
理々しく スズムシのように生きるんだよ