わからないことは人に聞くか調べる。
ごく当たり前のことなのだが、逆はどうだろうか。
わかることは聞かないし調べないと言うことだろう。
このことが一番の問題で、「わかる」とは何か振り返ってみると良い。
本に書いてあるからか、テレビで言っていたからか、それとも常識だからか。
そこに自らの判断はどれほどあるだろう。
人は奥の深い仕組みをまたいで言葉で片づけてしまうことが多過ぎる。
文明の弊害とも言える「便利さ」「余裕」がもたらしたものだ。
言葉で覚えて整理、そして先へ進もうとするのだが、その理由は「何故?」と言う疑問を抱く習性がないからで、子供心を失ってしまった。
中身に関係なく教わったことは大切にすると言う思い込みがそうさせる。
それが「覚える」と「考える」の違いであり、短い人生をも左右する。
人は人間の歴史は過ちの歴史だと言うことを忘れている。
思考錯誤と失敗の中から文明は生まれた。
昔の常識は今の非常識であり、今の常識も未来の非常識になる可能性は高い。
長年覚え続け積み重ねた砂の城も、波で崩れ去る時は一瞬だ。
野人はそのようなものに付き合うほど気長ではない。
急がば跨ぐし、人が簡単に跨ぐことも、必要ならば何百倍も時間をかけて遠回りする。
遠回りの道を選ぶことも自ら下した大切な判断なのだ。
続く・・・