今の勉強の在り方に疑問を持っている人は多い。
覚えることが中心で考えることが少ない、俗に言う詰め込み教育と言うものだ。
覚えるだけなら量も質もパソコンのほうがはるかに優れている。
野人はそんなことに使う頭は持ち合わせず、それは高校の時からはっきりしていた。
3年間毎日やって喋れない英語など役にも立たず、高一で英語辞書を捨てた。担任が何と言おうがやらないと決めたのだ。それに他の学科と違ってやる目的も必要性も見当たらず、将来英語が必要になればその時にやれば良いことだ。
進学クラスにはいたが、大学入試の為の勉強などには関心もなく、モリ持って海に潜ることに専念した。たまに依頼された水泳部の試合に出て県でも優勝、義理も果たした。
当然、予習復習もやるつもりはない。
丸一日学校へ通って、何故家に持ち帰ってまで残業しなければならないのだと理解に苦しんだ。
ノートも持たなかったが、教科書があるのに何故ノートが必要なのか、ノートに書くような大事なことなら最初から教科書に入れれば良い。
人名や地名や年代などもまるで覚える気はなく、それが必要なら本に書いてあるから調べれば良い。
脳味噌の中には余計なものはいらないのだ。それが多過ぎるから人は振り回され判断に迷う。
「学ぶ」と言う目的はその頃からはっきりしていた。
続く・・