命ある者たちへ | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

命あるものすべてに心があり知恵がある。

それは人間だけでなく小さな虫にも雑草と呼ばれる草達にもあるのだ。

その命を支える細胞にも命があり、短時間しか生きられなくとも使命を果たそうとする。

生き物にとって最も大切なものはその「心」であり、知恵はその副産物のようなもの。

「思う、感じる」と言う思いが確固たる意志に変り、方向を決め、計画を立てて実行に移す。

動物も、脳機能を持たない植物もまた気が遠くなる時間を要して進化して来た。

心は知恵を生み、その現実の結果がまた喜怒哀楽の感情を呼び、心を育てる。

野人だけでなく、誰も自由な心の世界には入れるものではない。


このブログはあくまで理論、物理であり、人への攻撃もなく心にも不介入。

「答えを信じよ」と言うのではなく、答えに至った道理を説いている。

やろうとしていることは「森羅万象の道理」の世界への波及であり、海と大地の修復、飢えと病に苦しむ人達、生き物達を救うこと。

その為に一次産業の復興、農業の常識を覆すことから始めた。

それは始まりでありほんの入り口、畜産、林業、漁業、ゴミ処理問題とまだまだ気が遠くなる程道は遠い。

命尽きるまでに道を切り開く、それが野人の使命であり必ずやり遂げる。

新たな常識を広める先導者でも宗教指導者でもない。

理を説き、人間が自ら判断出来るようになることで自浄作用は広がる。


人はとかく結果、結論だけを追い求め、感性のおもむくままに判断を下す傾向がある。

宣伝文句に素直に心が納得するのがよい例だが、それらは最初に目的、答えありきで部分的には間違っていないのだが、本来体に必要かどうかなど言わない。

それがこのような歪だらけの社会を生み出したのではないだろうか。


野人理論は単純明瞭だが、その量は膨大で、どれもが同じ視点、回路で繋がっている。

一つ間違えば、他に影響が出て矛盾が生じるが、今のところそれもない。

結論を言うなら数行で済むのだが、あまりにも常識と正反対ゆえに常識が基本の感性では受け入れられ辛い。

答えに至った道理を、視点を変えて長々と書いてきたのはその為であり、それぞれはエッセイで表した森羅万象の物理、個々に完結しているが連立もしている。


これまで培ってきたそれぞれの「感性」「理性」ではなく、頭を中立にして思考の起点から順を追って考えていただければ幸いだ。

因果関係と言うように、現状の結果は感性で判断するものではなく因である道理のはず。

前向きな対策に入る前に「因」を見つめ直してもらいたいと願っている。

基点の数値が違えば何年頭を捻ろうが方程式は成り立たず「足し算」と言う無意味な修正の繰り返しだ。


世の中の為に尽くそうとしている人は大勢いる。

それぞれの思い、志も大切だが、今の地球を救うのは人間の「物理的判断」だ。

政治の世界がそうであるように「思い」は異なるのが当然で、手法の違いは対立を生む。

しかし「理」の答えは誰が解いても同じものなのだ。

痛烈なことを書き続けて来たが、開始以来1件の苦情もないのがそれを示している。


この現状は思いではなく理の間違いが生み出したとも言える。

理とは何かを解し、実践して来た多くの読者のおかげでこのブログは存続、ここまで書き続けることが出来ました。

あらためてお礼申し上げます。



また何か言われそうだから補足・・

これはお別れではなく、一区切りした感謝の御挨拶

明日からはしばらく本業に精を出すか・・

魚も野菜も茶も塩も・・売らんと・・な



ササユリ
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ミズアビ・・
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