何で簡単に30mも潜れるかって? 簡単だ・・
それくらいは造作もない、飛びこむ前にレギュレターを装着したタンクを海に放り込み、背負わずに・・片手で抱えてそのまま潜ったのだ。
よく読みなさい・・タンクを背負わず潜った・・・と書いてある。
行って帰るのにはそれで十分、あんな重いもん背負うなど暑苦しくて面倒だ。
クルーに海面でタンクを回収してもらった。
省エネ物理思考と無精思考はその頃も今も変らない。
ノーパンの顛末が気になって仕方がない一部の女性読者もいるだろうがどうと言うこともない。
その程度でビビる野人でもなく、生まれた時から羞恥心など持ち合わせてはいない。
海面に「イチヂク」の葉っぱでも浮いていれば話は面白くなっただろうが。
2人のカメラマンと野人の漫才も可笑しいが、野人は撮影中に海底の噴火口で火傷、名誉の負傷を負った。
まあ詳しい話はそのうち「連載東シナ海流」の後篇に書くことにしよう。
迷彩服にサングラスにパイプ、腰には常時巨大ナイフ、仕事はヤクザな海賊稼業に見え、名詞の裏側には東シナ海の地図、宝島、サメ、どくろのマークまであったが・・・名詞の表には恐れ多くも一部上場企業のマーク、その下には「日本楽器製造株式会社」とある。楽器会社ヤマハの以前の正式名称だ。
同じ表紙の名詞をヤマハ本社でスーツネクタイ姿で野人は使っていた。
3年後、裏にはサメやどくろのマークが入り、そしてこのスタイル・・やりたい放題。
秘境に追いやられたサラリーマン・ムーのなれの果ての姿だった。
給料は自らの知性と体力で稼ぐしかなく、ここにはタイムカードも上司も存在しない。
社長に呼ばれ、この格好で浜松本社に出頭した時、門番のガードマンは入れてくれなかった、社員証など持ち歩くはずもない。
「ここの社員だバカタレ」と言っても信用しない。
確認の電話を入れるガードマンに女傑の社長秘書が言った言葉は・・
「その人にそれ以上構わないで!!」・・だった。
手のひらを返すように・・・待遇は変った。
とにかく日本初の最高傑作映像が撮れたことには違いない。
帰港途中、水平線見渡す限りのイルカの大群に遭遇、中心に突っ込んだ。
どれほどいるか見当もつかない。
その数1万頭としか言いようがないが、船は全速にもかかわらずなかなかイルカの群れを抜けることが出来なかった。
好奇心の強いイルカ達は船の横を上を向いたまま並走するのだ。
見た事もない壮大な光景に圧倒されたカメラマン達は映像を撮り続けた。
野人はまだこの放送を見ていない。
これまで数えきれないほど映像に流れたが、放送日を覚えられなくてその大半は見た事がないのだ。
しかしどうしても見たかったのがこの新日本紀行の映像で、その思いは今も変らない。
一応撮影スタッフだから画像には出てはいないだろうが、あの噴火口とイルカの群れと、水平線に沈む壮絶な夕陽はもう一度見たい。
どうしたら見られるか・・・まあそのうち縁があれば出会うだろう。