食の本質 2 命あるもの | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

人間も含む動物は「命あるもの」を食べなければ生きてはいけない。

命ある食材とは・・命とは何かあらためてここで考えて欲しい。

生命誕生以来、すべての動物の命は命によって支えられ続けている。

動物は例外なく命ある生の細胞を食べて命を繋ぐ。

加熱、加工、抽出すれば、栄養分とやらは残っても「生命」は既にない。

食べやすく、美味しくなり、立派な食文化には違いないが「命」はないのだ。

それらは人間の知恵の産物であり、森羅万象の食の本質ではない。

それを理解した上で食文化を楽しめば良いのだが、そうはなっていない。

それだけでは健康的に生きられないことを知っているからこそ人類は生野菜、サラダ、果物を摂ろうとする。

それは本能が失せていない証拠とも言えるが、それらもまた必ずと言ってよいくらい人の手が加えられた植物なのだ。

自然の恵み、大地の恵みと、何の疑いもなく摂っていることが最大の盲点だろう。

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」ということわざは植物にも当てはまる。

植物にも命があり、その命は健全なる体、つまり個々の「細胞」にも宿っている。

人はそれぞれの思いで命の重さを仕分けしているようだが、すべての動植物の命の重さに変りはない。

脳の重さやその機能で比べるものでもなく、それらの小さな細胞は懸命にその使命を果たそうとしている。

特に植物の細胞は地球にとっては動物よりも大切な役割を担っているのだ。

その細胞が健全かどうかは植物の本質を理解するしかないが、同種の動植物の細胞数はほぼ決まっている。

健全な細胞は異常に肥大することなく「許容範囲」を保っている。

そのなかの成分、微量ミネラル、酵素はバランスが保たれ、最初から最後まで自らの力のみで育った植物は生命力に溢れている。

小さな「種」には凄まじい生命エネルギーが込められているのだ。

それは自然界すべての植物に当てはまり、科学も及ばない神業とも言えるべきものだ。

有機物は、空気と水と、元は海だった大地の微量ミネラルから出来ている。

植物がその細胞を肥大させる場合はただ一つ、土壌浄化の為でしかない。

表土で微生物が無機に分解した廃棄物、生ゴミの元素は、雨水で土中に浸透、植物の根がすべて吸い上げ、虫達も手助けしてまた空中に戻す。

無機から有機が生まれ、また元の無機元素に戻る仕組みは完全なのだ。

それが自然界の仕組みであり、その連携の仕組みを科学は感知していない。

微生物が地表で分解した無機をどうやって元の場所に戻すかが欠如しているのだ。

欠如しているから、草を排除し、表土の破壊を何度も繰り返す。

それらの行為は地球が数十億年を費やして築き上げた大地の仕組みを否定することに他ならない。

吸い上げられ戻されることのない無機や、土中に閉じ込められた有機腐敗物は川や地下水から海に流れ出て生態系を狂わせている。

日本近海だけでなく、グレートバリヤリーフの異変も深刻だ。


土は生きている

http://ameblo.jp/muu8/entry-10236844457.html


土壌が肥えることなどない

http://ameblo.jp/muu8/entry-10170062873.html


緑の大地だったサハラ砂漠

http://ameblo.jp/muu8/entry-10296296020.html