道理とは誰もが同じように使える道具のようなものであり人の心とは関係がない。
学校で習った理科や算数など、日常使いこなし人により変わるはずもないのと同じだ。
思う、感じると言う心で判断すれば道理も個々のものになってしまう。
そうして野人の友人や仲間達は極限の海で命を落として行った。
生き物にも道理があり、さらにそれらが天文学的に絡み合った仕組みがあるのだ。
人間は生き物どころかその複合的、立体的な仕組みさえも解明してはいない。
道理のはき違えが常識となり、それが人類が迷走する最大の原因だということに気づいてもらいたいと願っている。
ここまではっきりと言えるのは、誰からも教わるわけでもなく自ら身を持って森羅万象を学び続けたからだ。
野人の足跡と同じ体験をし、同じ視点をもって道理を導き出した教師も学者もいない。
子供の頃はともかく、大人になってからは現状の専門的な縦割り学問、職業の形態からも不可能なことだ。
野人は小中高、そして大学での専攻だけでなくヤマハを通しても職業としてこれらの多彩な仕事に専念出来た。
命じられたからではなく自ら企画、実践出来る立場にあったからだ。
マリーナ、ビーチ、農園果樹園、広大な水生の沢と遊歩道、体験プログラムなどだ。
さらに自らの会社で業務として研究に10年を費やしやっと仕組みが理解出来たばかり。
しかしまだほんの入り口に過ぎない。
今は本からの学びをやめて自然界から学ぶことに専念している。
学びには限りが無いが、残された時間に理論をまとめ、進むべき道を示したいから読むよりも書き、実践する道を選んだ。
共生ではなく協生と名付けた物理学者の原人はじめ、セファリのメンバーがこれから波及させようとする協生理論とは世界中何処にもない新たな学問だ。
野人の専門分野は海や山の自然界であり農業は最初から除外していた。
しかし自然界の道理からあまりにもかけ離れた農業が諸問題の根源であり、農業の修正なくして先へは進めないことがわかった。
そこに気付いたことで創立10年目にして事業に光が当たり、人も物も動き始めた。
協生農法とは協生理論の最初の応用であり、始まりに過ぎない。
今は進むべき道がはっきりと視野に入り迷うこともない。
人が森にやすらぎを感じる理由
http://ameblo.jp/muu8/entry-10085369085.html