文明のはじまり | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

道理とはものごとの仕組みであり、それを知るには個々の本質を知る必要がある。

命あるものの仕組みは複合立体的であり、言葉で覚え理解出来るものではない。

環境、健康、治癒力、野菜、食などは言葉では簡単にわかるが、そこにはいまだ人知も及ばない気が遠くなるような立体的仕組みがある。

「生涯の学び」と言えば聞こえは良いのだが、何を学ぼうとしているのか曖昧だ。

理由はそれが好きだからでも十分だが、少しは自分達の暮らしはもとより社会の役に立ったほうが良いだろう。

仕事の為の仕事、学びの為の学びより、創造の為の学びのほうが充実感がある。

上記の5項目は人が生きる上で少しどころか最も重要なことなのだ。

だから労力も財力も費やし、心まで一喜一憂している。

科学、常識に間違いがなければそんなことにはならない。

年々酷くなりつつあるのだから改めて見直したほうが良いのではないだろうか。

言葉に惑わされず自ら判断を下すには足元の視点が必要になる。

足元の視点とは基点のことであり、基点が狂えばすべてが狂う。

立派なマンションも外見ではなく構造を知るには時間がかかる。

時には時間をかけて歴史を振り返って見ると良い。

そこには学校で習った当たり前のことが書いてある(笑)

そこから自らの頭と本能で仕組みを組み立て直してみたらどうだろうか。

思い込みを捨てて素直に森羅万象を見続ければよい。

地球上のすべての出来事は「成るべくして成る」を数億年も繰り返しているのだ。

人間の常識や科学に矛盾を感じ、新たな発見があるだろう。

面倒な人はこのブログを読むと早い。

野人が調べ上げて下した判断、理論がすべて書いてある。



これはブログを開始したその日に書いた記事だ。

欲だけでなく対人武器や悲惨な国家間の戦争も農業がもたらしたものと言える。


2008 3月7日

大地に思うこと

http://ameblo.jp/muu8/entry-10078118229.html