植え付けと収穫と草の管理以外何もしない協生農法だが、その中でも毎回「耕さない」と言うことが最も大切なことだ。
施工時は仕方ないが、生き物達による土壌環境が完成して協生農法は成り立つ。
それは土質により1年から3年かかるだろうが、そこまで人は待てないようだ。
しかし長い目で見ればそれは半永久的に恵みをもたらすものなのだ。
土壌環境が整えば堆肥も肥料も石灰も農薬もまったく必要ない。
酸性だ、アルカリだと人が決めることでもなく、酸性を好むブルーベリーの下でもアルカリじゃないと出来ないと言われる野菜も問題なく出来る。
連作障害など自然界には存在せず、植生も移り変わって行く。
それに合わせれば良いだけのことで、そもそも「これを作ろう」と考えるほうが不自然なことで、出来るか出来ないかは人が決めることではない。
様々な種から、大地が喜んで生み出したものを収穫すればそれで良い。
工業製品同様の規格を持ち込んだ今の野菜より小さく数量も少ないが、それが本来の植物であり細胞は正常だ。
植物は必ず地面を覆い尽くす。
だから不作だ、あれが出来ないなどと困ることなどない単純な道理だ。
種にも心があり、土壌にもその時のコンディションと言うものがある。
種の発芽は養分ではなく持って生まれた生命力。
発育も同じでそれが主体、微量養分はあればそれにこしたことはないと言う程度だ。
だから野菜はどんなに小さくても花を咲かせ、実を付け、子孫を残そうとする。
人から見れば貧相でも困ってなどいないのだ。
養分を与えれば「野菜が喜んで育つ」と言う言葉は当てはまらない。
本来の植物には、無肥料、無農薬が重要ではなく、彼らが築く土壌環境を破壊しないと言うことが最も大切なことなのだ。
その植物を食べなければ動物は寿命をまっとうすることは出来ない。
土質と土壌 メタボの矛盾1
http://ameblo.jp/muu8/entry-10507730825.html
土質と土壌 メタボの矛盾2
http://ameblo.jp/muu8/entry-10508072116.html